柳時敏(ユ・シミン)――といっても日本ではあまり聞かない名前でしょう。
柳時敏(ユ・シミン)は韓国左派・進歩系人士にとっての「メンター」的な立ち位置と認識されている人です。

↑李在明(イ・ジェミョン)さんの右にいるのが柳時敏(ユ・シミン)さんです。
はっきり言って、いまだに韓国学生運動をやっているような人物で、日本的にいえば「昭和の遺物」。
大変に面倒くさいのですが、柳時敏(ユ・シミン)の説明をしておきます。(もはやどうでもいいのですが)韓国の政治情勢を理解する一助になるかもしれません。
学生運動から言論人、政界へ……
柳時敏(ユ・シミン)は1959年07月28日、慶尚北道慶州生まれ。
『ソウル大学』で経済学を学び、後にドイツの『マインツ大学 大学院』で経済学を専攻しました。
作家、評論家、テレビ司会者、国会議員、保健福祉部長官、政党代表、盧武鉉財団理事長などを経験しています。本人は政治家を辞めた後、自らを「知識小売商」と位置づけることてみせました。
大衆に知恵を売ってやるみたいな好感の持てない「物言い」です(個人の感想です)。
この人物を理解するには、大きく、
❶1980年代学生運動 ⇒ ❷進歩系知識人・作家 ⇒ ❸盧武鉉の政治的同志 ⇒ ❹政治家・閣僚 ⇒ ❺政界引退後の進歩陣営の論客
――という流れで見ると分かりやすいです。
原点は例によって「1980年代の学生運動」
柳時敏(ユ・シミン)は1978年に『ソウル大学』へ入学し、学生運動に参加しました。
1980年のいわゆる「ソウルの春」では、ソウル大学総学生会代議員会議長として学生運動の前面に立ち、5月17日の非常戒厳拡大時に逮捕されています。
その後、軍へ強制徴集されました。
そして柳時敏の名前を韓国社会に広く知らしめることになったのが、**1984年の「서울대 프락치 사건(ソウル大学フラクチ事件)」です。
これは学生運動側が、民間人などを情報機関の「フラクチ=スパイ・内通者」ではないかと疑い、監禁・暴行した事件です。
韓国民主化運動記念事業会の資料でも、4人を情報機関のフラクチと判断して監禁・暴行した事件だったと説明されています。柳時敏はこれに関連して有罪判決を受けました。
ところが、この事件で柳時敏が書いた長文の「항소이유서(控訴理由書)」が、当時の学生運動圏で非常に大きな影響を持ちました。
その文章は法曹界、在野人士、学生の間で回覧され、柳時敏(ユ・シミン)を一躍「運動圏の論客」として有名にしました。
つまり、この時から柳時敏(ユ・シミン)さんは「文章と言葉」で戦う男だったわけです(格好良く聞こえますが)。
政治家になる前から「進歩系知識人」だった
1988年には、後に首相となる李海瓚(イ・ヘチャン)国会議員の補佐官となりました。
ここで政治実務を経験すると同時に、後の大統領となる盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんと接点を持つことになります。
その後ドイツへ留学して経済学を学び、帰国後は作家・時事評論家として活動。
特に、
『거꾸로 읽는 세계사(逆さに読む世界史)』
『부자의 경제학 빈민의 경제학(富者の経済学、貧民の経済学)』
――などが広く読まれました。
さらにテレビ討論番組『MBC 100分討論』の司会などを務め、難しい政治・経済問題を一般向けに説明する人物として全国的な知名度を獲得します。
柳時敏(ユ・シミン)さんは後に政治家となりますが、政治家になる以前から、文章・出版・テレビ討論を通じて進歩陣営の世界観を一般大衆へ翻訳する能力を持っていた知識人なのです。
これが現在に至る影響力の源泉になっています。
次に「盧武鉉の人になる」
柳時敏(ユ・シミン)さんの政治的位置を決定づけたのが盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんです。
2002年大統領選挙では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が苦境に陥った際にも積極的に支援しました。『改革国民政党』を率いて盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんを支え、当選後には政権誕生の功臣の一人と評価されます。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権をあまりに強く擁護するため、当時は
「盧武鉉の政治的警護室長」
――とまで呼ばれました。
2003年の国会議員補欠選挙で当選。その後、『ヨルリン・ウリ党』(開かれたウリ党)に入り、国会議員を務めました。
さらに2006年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で保健福祉部長官に就任します。
したがって柳時敏は、単なる「盧武鉉(ノ・ムヒョン)支持者」ではありません。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政治を思想面・言論面で擁護し、自らもその政権の閣僚として政策執行に参加した「親盧(親・盧武鉉)」の中核的人物です。
政治家としては成功し切れなかった
ここも柳時敏(ユ・シミン)さんを評価する上で重要なポイントです。
言論人としての知名度と比較すると、選挙政治家としての実績は必ずしも成功一色ではありません。
2010年には京畿道知事選に野党統一候補として出馬しましたが落選。
その後、国民参与党を経て、進歩政党再編の中で『統合進歩党』の共同代表となりました。
ところが『統合進歩党』は2012年、比例代表候補を決める党内選挙をめぐる不正問題で大混乱に陥ります。
柳時敏(ユ・シミン)さんはその後、『進歩正義党』、さらに『正義党』へとつながる勢力に参加しましたが、2013年には事実上政界から退きました。
「優秀な評論家・論客」としての評価と「選挙に勝って組織をまとめる政治家」としての評価にはかなりの差があります。
現役時代から主張が明確で論争的な人物であり、「好き嫌いが非常に分かれる政治家」と評されていましたが、この評価が柳時敏(ユ・シミン)さんの負の面を示しています。
左派・進歩系人士にありがちなことですが、頭でっかちで現実世界でとの折り合いをつけるのが下手くそなのです。
政界引退後に、むしろ影響力が大きくなった
政治家を辞めた後、柳時敏(ユ・シミン)さんは作家・テレビ出演者として再び非常に大きな人気を得ました。
そして2018年には盧武鉉(ノ・ムヒョン)財団理事長に就任します。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の妻、権良淑(クォン・ヤンスク)さんも柳時敏(ユ・シミン)さんの理事長就任を肯定的に評価したと報じられ、盧武鉉(ノ・ムヒョン)陣営における柳時敏(ユ・シミン)さんの位置の高さが分かります。
さらに2019年からネット番組、『유시민의 알릴레오(柳時敏のアリレオ)」が開始されます。
柳時敏(ユ・シミン)さん自身はこの番組について、政策の「根、背景、核心情報」を探すための「ナビゲーター」の役割を果たす、と説明していました。
この「ナビゲーター」という自己定義は、現在の柳時敏(ユ・シミン)さんの立場をかなり正確に表しています。
なぜ「左派・進歩系のメンター」といわれるのか
柳時敏(ユ・シミン)さんには現在、公式な政治権力はほとんどありません。
「国会議員ではない」「閣僚でもない」「党代表でもない」の、ないない尽くしではありますが、韓国の左派・進歩系人士に対して強い影響力があります。
理由は、進歩陣・進歩系の政治を「説明する人」だからです。
選挙、検察、財閥、福祉、労働、南北問題、民主主義、盧武鉉(ノ・ムヒョン)・文在寅・李在明(イ・ジェミョン)へと続く民主党系政治――こうした問題について、
「これは何が起きているのか」
「左派・進歩陣営はこれをどう理解すべきなのか」
「保守より陣営の主張のどこがおかしいのか」
――という解釈のフレームを支持者に提供するのです。
柳時敏(ユ・シミン)さんは「韓国政治をこういう構造で見れば理解できます」と語ります。
左派・進歩系人士にとっては、政治家というより教師・解説者・思想的案内人に近い存在になっています。
「左派・進歩系人士」といっても「北朝鮮系左派」とはかなり違う
左派・進歩系人士といっても、(ばかばかしいことですが)中身はいろいろです。
その意味で、柳時敏(ユ・シミン)さんを単純に「韓国左翼・進歩系人物」と括ると誤解が生じるかもしれません。
韓国の進歩勢力には歴史的に――、
民主党系・自由主義的進歩派
盧武鉉(ノ・ムヒョン)系
社会民主主義系
労働運動系
民族解放(NL)系
旧統合進歩党系
――など、異なる潮流があります。
柳時敏(ユ・シミン)さんの政治的原点は学生運動ですが、後の政治的位置は基本的に盧武鉉(ノ・ムヒョン)型のものです。
とはいっても、盧武鉉(ノ・ムヒョン)さん自身に確固とした政治心信条の軸があったとはとてもいえません。
経済学を学んでいることもあって、伝統的な社会主義者というより、市場経済を前提としながら福祉国家、再分配、民主主義、政治改革などを重視するタイプ――には見えます。
極めて論争的な人物で「口舌の徒」
柳時敏(ユ・シミン)さんは、また韓国社会で評価が極端に分かれる人物です。
左派・進歩系人士から見れば、
「博識で、論理的で、難しい政治問題を分かりやすく説明してくれる知識人」
――に思えます。
一方、保守よりの人たちから見ると、
「弁舌で左派・進歩系陣営を擁護する政治的プロパガンディスト」
――と見えます。
上記のとおり、この評価の分裂は学生運動、政治家時代からありました。相手が間違っていると思えば激しく論争する人物として知られていました。
上記の『ソウル大学』フラクチ事件も、現在まで柳時敏(ユ・シミン)さんを批判する際に持ち出される重大な経歴です。
筆者ならこうまとめます。
柳時敏(ユ・シミン)さんは、韓国学生運動華やかなりし頃の「大学生はインテリの偉い人」という風をいまだに引きずって、それを体現している人物です。
その意味でいまだに学生運動を引きずっているといえますし、いまだに大衆を教え導かなければならない――という鼻持ちならない考えの持ち主です。
こういうを「老害」というのではないでしょうか。あまりにひどいと思われるもしれませんが、韓国の「2026年現在の若い世代」が本当に成し遂げないとならないことは、このような「80年代学生運動上がりの人物」と縁切りすることです。
無難に以下のように評することも可能です。
政治家としては選挙や政党運営で挫折も経験し、2013年に事実上政界から引退しましたが、その後は著作・テレビ・YouTubeなどを通じて左派・進歩系人士に政治を見るための「解釈」を提供する存在となりました。
そのため「メンター」と評されます。
(吉田ハンチング@dcp)





