日本人に対して「韓国に対する愛情はないのか!」と韓国人が怒り出す――という話はネット上でも見かけますが、これは古田博司先生が経験されたことです。
古田先生は第一期日韓歴史共同研究委員会(2002~2005年)の近現代史班に参加。韓国側の学者と激論をかわす中で、激高したある韓国の先生が発した言葉です。古田先生が日韓の戦いがどのようなものであったのかを著されたことで一般にも知られるようになりました。
若い世代はご存じないかもしれませんので、あらためてご紹介しておきます。
(前略)もちろん日本側委員に韓国側の歪曲史観に加担するものは一人としていなかったものと信じている。日本側の研究レベルは、そもそも彼らの専横を許すほど低くはないからである。
第一期の近現代史班では、
日本側「嘘つくんじゃない。史料を見なさい。日本も悪かったが、嘘つくあんたたちはもっと悪い!」
韓国側「エージョンイラン・イッソヤジ(愛情というものがなくちゃならんだろ)!」
なとという怒号がこだましていたが、最終全体会議とレセプションで李萬烈代表幹事が、
「自国文化を愛する環境の中で学問的な要素を含んだ学者までもが、他国の歴史に対して、なぜこう了見が狭いのか不思議でならなかった」
「韓国史研究が韓国に対する温かい愛情を前提としなければならないことを強調したい」(日韓文化交流基金PDF参照)と述べたため、日本側のほとんどの委員が心底あきれて終わった。
会議後、三谷太一郎座長から、なぜ彼らは最後にあんなことを言うのかとの下問があったので、私は、「彼らは引っ越しで家を出るときに徹底的に汚して去る。それでしょう」と答えたことを記憶している。
(後略)⇒参照・引用元:『統一朝鮮は日本の災い』著:古田博司,飛鳥新社,2008年09月25日 第1刷発行,pp66-67
※強調文字は引用者による。
ネット上で見かける「韓国に対する愛情はないのか!」のオリジナルは、古田先生によれば「エージョンイラン・イッソヤジ(愛情というものがなくちゃならんだろ)!」です。
それにしても、「韓国史研究については韓国に対する温かい愛情が前提」というのは驚くべき言葉です。事実を指摘し「うそをつくな」と言うと「了見が狭い」ことになるのでしょうか。
韓国の歴史学では、うそを認めることが韓国への愛情を示したことになるようです。学問って……科学ってなんでしょうか。
(吉田ハンチング@dcp)