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『韓国銀行』伊藤博文の直筆「定礎」横に案内板を設置

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韓国は日本帝国併合時代の遺物を「日帝残滓」と称して消去することに熱心です。そんなことをしても「なかったこと」にはならないですが、とにかく日本だったころの痕跡を消そうとします。

Money1では、『韓国銀行』の話題の際に、よくの画像をアイキャッチとしていますが、この建物は「韓国銀行貨幣博物館」です。

もともと「朝鮮銀行本店」として1912年に建設されました。

第二次世界大戦後も韓国の中央銀行本店として使われ、『韓国銀行』の部署が全て新しいビルに移転した後、2001年に「韓国銀行貨幣博物館」として開館しました。

この元「朝鮮銀行本店」の定礎の碑文が日本の初代首相・伊藤博文の親筆として韓国では物議を醸していました。2020年10月21日、韓国文化財庁は筆跡照合を行って伊藤博文のものと確認した、と公表。

さてどうするよ、となっていたのです。

2021年09月15日、『韓国銀行』は以下のプレスリリースを出しました。

⇒参照・引用元:『韓国銀行』公式サイト「[プレスリリース]韓国銀行貨幣博物館定礎石案内板の設置」

取りざたされていた定礎石の撤去や、文字の削除ではなく、案内板を設置することにした――としています。その案内板の内容というのが以下です。

韓国銀行貨幣博物館定礎石案内板
案内板テキスト(文化財庁通知)

定礎石は、日本が侵略を加速していた1909年07月11日設置された。「定礎」という字は、侵略の元凶である伊藤博文が書いたものである。

「隆熙三年七月十一日(隆煕※3年07月11日)」は、光復後に刻んだものと推定されるが、誰が書いたのかは分からない。

この定礎石は日本侵奪の痕跡だが、残すことで過去の傷を記憶し、歴史の教訓としたい。
※1907年から使用された大韓帝国の最後の年号

データ引用元は同上

伊藤博文が侵略の元凶などと書いていますが、とりあえず定礎石は残ることになりました。100年以上の時間を重ねて伝わっているものを消すなどというのは正気の沙汰ではありませんから、まだしもな結果になったといえるでしょう。

(吉田ハンチング@dcp)

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