韓国「巨魁死す」⇒ 最も厄介な586「キングメーカー」が逝った。

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リアルタイムで記事にできませんでしたが、どうしても触れておかなければならない事案ですので、ご紹介します。

2026年01月25日14:48(ベトナムの現地時間)、李海瓚(イ・ヘチャン)さんが亡くなりました。享年74歳。

日本人のほとんどが「誰それ?」でしょう。Money1を読んでいただいている皆さまであれば、以下の写真で覚えている方がいらっしゃるかもしれません。


↑右が李海瓚(イ・ヘチャン)さんです。李在明(イ・ジェミョン)さんが先輩におもねった笑顔を見せています。

あるいは以下の写真。

上掲は「第22代 国会議員総選挙」の開票が終わり、当時野党だった『共に民主党』の大勝が確定したときの写真です。李在明(イ・ジェミョン)さんの隣に座っていたのが李海瓚(イ・ヘチャン)さんです。

李海瓚(イ・ヘチャン)さんはベトナムで倒れ、病院に搬送されたのですが、救命できませんでした。

なぜベトナムで?――なのですが、民主平和統一諮問会議アジア太平洋地域会議運営委員会への出席のため、2026年01月22日にベトナム・ホーチミン市を訪問していたのです。

민주평화통일자문회의(民主平和統一諮問会議)』は、韓国憲法(第92条)に明記された「大統領直属の統一政策諮問機関」です。なぜ海外(ベトナム)で会議をやるのかというと、❶在外韓国人社会の意見を集約する❷各国の対北朝鮮認識・外交環境を把握する❸統一問題を国際文脈で議論する――ためです。

韓国から遠く離れたベトナムで亡くなったので「客死」です。

遺体は韓国に運ばれ、葬儀が行われました。韓国大統領になりおおせた李在明(イ・ジェミョン)さんも当然足を運びました。


↑遺族を見舞う李在明(イ・ジェミョン)さん。

李海瓚(イ・ヘチャン)さんは、

1952年生。ソウル大学社会学科。
1970年代の学生運動に身を投じ、民青学連事件(1974)、金大中内乱陰謀事件(1980)で投獄。
1978年新林洞の高試村で社会科学書店『広場書籍』を開き、運動圏・知識人の拠点を形成。
⇒ 運動・思想・人脈を同時に築いた点が特徴。

1988年:36歳で国会初当選(以後、通算7選)
1998年:金大中政権で教育部長官(1998年)
2004年:盧武鉉政権で国務総理(首相に相当)

⇒ 盧武鉉(ノ・ムヒョン)・文在寅両政権の成立過程で、戦略設計・調整役として影響力

2018–2020年:『共に民主党』代表
党内非主流派だった李在明(イ・ジェミョン)を支え、候補として定着する過程を後押し
キングメーカーとして認知される

――という経歴の人物です。

いわゆる「586世代」ですが、

❶学生運動 ⇒ 投獄 ⇒ 政治進出
❷民主化の正統性を政治資本に転換
❸道徳性・歴史性を重視する政治言語
❹保守勢力への強い対抗意識

――という、まさに586世代の王道ルートをたどりましたが、理念より制度設計を重視し、選挙・評価基準・行政運営を具体的に回すという実務家であった点で、やたら表に出たがる割に責任をとらない文在寅や李在明(イ・ジェミョン)さんとは異なっています。

そのため、同じ左派・進歩系人士からは「硬すぎる」「融通が利かない」といった評価もありました。一方の保守寄り勢力からは「最も厄介な586」と、ある意味「恐れられた存在」でした。

総じていえば、李海瓚(イ・ヘチャン)さんは「586世代の中で、最も政治権力に深く入り込んだ実務家」でした。


李海瓚(イ・ヘチャン)さんが2026年01月25日に亡くなったというのは、「韓国の時代」にひとつのピリオドが打たれた――そんな感慨をもたらすものです。「巨魁死す」そんな感じなのです。

(吉田ハンチング@dcp)

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