朝鮮の独立は棚ぼた。それは独立運動の結果ではない。

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「3.1独立運動」を記念して、韓国では毎年03月01日は祝日。必ず大統領が記念演説を行うことになっています。

それはいいのですが、韓国メディア『聯合ニュース』には以下のような紙面がありました。


↑『聯合ニュース』紙面/スクリーンキャプチャー

「独立門」の前に太極旗を持った皆さんが集った写真が掲載され、

「独立運動記念日『3.1節』を迎えた1日、ソウル・西大門区の独立門の前で、3.1独立万歳運動の再現行事に参加した人たちが『太極旗』を振りながら記念撮影をしている」

というキャプションが入っているのですが――これはいいのでしょうか。

韓国の皆さんは誤解しているかもしれませんが、この「独立門」は「日本(下関条約)によって清国から独立した記念」で建てられたもの。

日本からの独立を記念した門ではありません。


↑もともとこの地には中国の使節を迎えるための「迎恩門」がありました。しかし、日清戦争で日本が勝利し、下関条約によって朝鮮の独立が認められました。これを記念して1896年に『独立協会』が建設したのが「独立門」です。


↑こちらは在りし日の「迎恩門」。「慕華館」という中国に阿った名前の館が隣接していました。

当然ですが、1919年の3.1運動の参加者はよく分かっていました。

韓国の皆さんが誇る「3.1独立宣言」は「パゴタ公園」で読み上げられました。なぜ独立門でなかったかというと、それは日本のおかげで清から独立したという記念碑であることを熟知していたからです。

いわば日本を讃えるような記念碑の前で、日本からの独立を宣言する――などという格好の悪いことはできなかったのです。

韓国の皆さんが喜んでいるのであれば、野暮なことかもしれませんが、韓国が独立できたのは、日本が戦争に敗れたからであって、朝鮮半島で起こった独立運動の結果ではありません。棚ぼた式の独立です。

しかし、その前の「清国からの独立」も日本が戦勝したことによる棚ぼた式の独立だったのです。

(吉田ハンチング@dcp)

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