Money1の本筋とは直接関係ないのですが、記録しておかないと埋もれていってしまうので、記事にします。
金大中(1924~2009)元大統領の日記が『金大中亡命日記』というタイトルで出版されました。
そもそもこの日記は、金大中(キム・デジュン)さんが1972年08月03日から1973年05月11日まで手帳6冊に自筆で書いた223編の記録です。
金大中(キム・デジュン)さんの三男・金弘業(キム・ホンオプ)(金大中・李姫鎬記念事業会理事長)さんが2024年07月に遺品の中から発見。延世大学金大中図書館を中心とした専門家の判読を通じて、今回本として出版されました。
2024年07月には金大中(キム・デジュン)元大統領の三男、金弘傑(キム・ホンゴル)元国会議員が、相続税に困って100億ウォンで自宅を売却した――というニュースが出ていました。
金大中(キム・デジュン)さんは、韓国の歴代大統領の中でも民主化に注力した立派な人物とされていますので(筆者などは全然そうは思いません)、この売却話は大変に批判を浴びました。
その後、「金大中財団」が同邸を再び買い戻すことを決定し、個人買主との再購入契約を2024年9月に締結しました――なのですが、それはともかく――この売却騒動の中、遺品整理が行われて、日記が出てきたのではないでしょうか。
面白いのは、手帳に書かれた日記は05月11日で終わっているのですが、仮に「それ以降も日記を書き続けていた」のなら、さらに2冊日記を綴った手帳があるはずですが――、そちらは見つかっていません。
この日記については、金大中(キム・デジュン)さんは生前には一度も言及したことがなかったそうです。
三男の金弘傑(キム・ホンゴル)さんによると、「以前、私の秘書官をしていた友人が、紙の箱に入っているのを見つけたが、危うくゴミ箱に入るところだった」とのこと。
『朝鮮日報』の記事によると、これまで知られていなかった金大中(キム・デジュン)さんの当時の「思い」についての記述があった――というのです。
記述を以下に引きます。
↑発見された金大中(キム・デジュン)元大統領の日記。金大中(キム・デジュン)さんは日本語を喋れました。日付、曜日は漢字で書かれています。●1972年10月17日の記述
「私はこの日記を断腸の思いで書く。それは、今日をもってわが祖国の民主主義が、形骸さえも消え去ってしまったからである」
※1972年10月17日は朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が「10月維新」を宣言した日です。
●1972年10月22日の記述
「今回の事態(維新宣布)で最も意外だったのは、北朝鮮側が事前に通じていたかのように見える点である。金日成政権がこれまで『人民の自由』を叫び、韓国での民主主義の発展を主張していたことは、まったくの虚偽であり、彼らもまた朴正煕のような独裁者に過ぎないという本性が明らかになった、という日本の多くのジャーナリストの指摘は正しいと思われる」
●1972年10月24日の記述
「今日は南北赤十字の平壌会談が開かれ、北朝鮮でも韓国と歩調を合わせて憲法改正をするという。どうにも南北の背後に何かあるような気がしてならない」●1973年01月01日の記述
(アスタリスクが付いている――とのこと)「本年は、我が祖国の民主主義の犠牲を巡って、南北統一の将来を占うに当たって、私の政治的将来と現在の位置を定めるに当たって、重大な分岐点となるであろう。
本年の私の責任はますます重大になるであろうし、大韓民国の全国民が私に彼らの一筋の希望を託しているということは、決して誇張ではないという点を銘記しなければならない。
私のこれからの具体的な処し方は、日本に行ってから決めることになるが、原則はあくまで民族の未曾有の苦痛と死の淵に呻吟する民主主義を再び蘇らせることが何かという点に判断の基準を置き、決して私的な便宜や恐怖に揺らいではならない」
●1973年01月18日の記述
「新聞を見ると、ようやくベトナム戦争が終わったようだ。ベトナム人の生命の安全のためにも停戦を望む気持ちは切実だが、わが国の若者たちが、屈辱的な世界の目の中で、これ以上無意味な犠牲を払わないためにもそうなのだ」
⇒参照・引用元:『朝鮮日報』「[유석재의 돌발史전] “전 국민이 내게 희망을 걸고 있다!” ‘김대중 망명일기’의 미묘한 내용들」
非常に興味深い記述です。
金大中(キム・デジュン)さんが韓国の現代史において果たした役割はとても大きなものですが、過度に褒めそやすのも問題です。
果たして称賛に値する人物だったのか――は検証が必要でしょう。そのためにも、この日記が発見されて良かったです。
(吉田ハンチング@dcp)






