御大の言葉 私たちは合理的に追求せずにはいられない

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私はこう思ったのだ。(あなたも理解してくれると思う)――自分の祖国はなぜ、あんな下手くそな戦争をやらかしてしまったのだろう? ほんの四〇年前の戦争で、あれほど見事な大戦略的勝利をおさめた国(注1)が、どうしてあそこまでのバカさ加減をさらして敗北したのだろう? ねェ、どうして?

注1:ただし、手をあげる瞬間としての「八・一五」は史上類を見ないほどのグッド・タイミング――歴史的勝利だと思う。

<<引用01 ここまで>>
引用元:『主砲発射準備よし!』佐藤大輔,徳間書店,1993,p.119

<<引用02 ここから>>

(前略)だから日本はいけない――帝国主義はいけない、軍隊を持つことはいけない、他人に文句をつけちゃいけない――どこぞのサヨク文化人先生ならそう結論づけそうだ。けれど根っからのウヨク(あっはっはっ)である私はそんなことは言わない。

なんてったって、あの頃は武力を持っていないとマトモにおつきあいをしてもらえなかった(今でもそうだ)。オマケに帝国主義は今だって存在しているし(鉄砲を使うかYENを使うかの違いだけだ)、そのおかげで結構いい生活をさせてもらっているんだから、そう悪いことだとは思わない。世の習いなのだ。それに他国のやることに文句をつけちゃいけないってのもオカシイ。自分の国の損になりそうなことは、断固ぶっつぶしにかかるのは当然なのだ(その方が得なのだから)。ましてやNUKEを持っている国に「侵略的傾向」について懸念を表明されるスジアイはない。

基本的に、国家はその利益追求(体制の安定・国家の繁栄)のためには、どんなことをしても構わない。平和というゼイタクは、利益追求にとって「その方が得だから」発生する意図的な状態にすぎないのだ(戦争の方がよほど自然な状態である)。

<<引用02 ここまで>>
引用元:『主砲発射準備よし!』佐藤大輔,徳間書店,1993,p.121

(柏ケミカル@dcp)

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