おススメ記事

韓国「お母さんも助けてくれない」。日本はお母さんじゃない

広告

韓国の皆さんのほとんどが、先進国と自称する国の基礎部分は日本によって築かれたものであることを認めません。しかし、先にご紹介したとおり、日本による併合前の朝鮮半島には近代的なものは何もなかったのです。

甘えてきた韓国、甘やかした日本

朝鮮半島に産業革命をもたらしたのは日本です。

近代的な法体系、教育制度などありとあらゆるものが日本から、日本によって移植されました。例えば、韓国の法律、法体系は日本のものと大変似通っていますが、これは当たり前で、大本は日本からコピーされたものだからです。

韓国の主力輸出産業が日本企業とかぶっているのも、そもそも日本の資金と技術を移転しているからです(韓国自身が「最近では日本企業とは競合する部分が減ってきた」などといっています)。

日本が朝鮮半島から手を引いた第二次世界大戦後も、韓国は日本に依存してきました。厳しい言い方をすれば「甘ったれてきた」のです。

また、日本側も韓国の甘えを許してきました。

アメリカ合衆国にいわれてそうせざるを得なかったという面もありますが、日本が韓国の甘えを許容した(忍従した)背景には「日本は朝鮮半島で悪いことをした」という贖罪意識、また「かつての同胞を助けてあげよう」という併合時代を生きた人の精神がありました。

しかし、韓国はこの甘え・日本の甘やかしを当然のものと考えるようになりました。「助けてもらって当然」という認識が生まれ、それが肥大化したのです。

この甘ったれた意識を木っ端微塵に打ち砕いたのが、『IMF』(International Monetary Fundの略:国際通貨基金)が韓国を管理下に置いた1997年アジア通貨危機です。

韓国はデフォルトの危機に陥り、日本、アメリカ合衆国に助けを求めましたが、両国ともに直接の支援は行いませんでした。(合衆国財務省の支店と呼ばれますが)独立機関『IMF』が支援することになったのです。

この意味は大変に大きなことでした。

韓国にとっては「今まで甘えられた相手」によって蹴飛ばされたからです。

日米は支援を拒否した

慧眼を持つ韓国ウォッチャー、鈴置高史先生は、韓国の日米に対する甘えた姿勢について、以下のように書いていらっしゃいます。

(前略)
韓国は1948年の建国以来、米国と日本に助けられて生き残ってきた。

北朝鮮に侵略されれば米国が軍を派遣してくれた。1965年の日韓国交正常化の後は、投資資金も技術も日本頼みで経済成長に成功した。

次第に韓国人は、困った時は日米が助けてくれて当たり前、と思うようになった。

1980年代末に高速鉄道計画に乗り出した際には「日本が全額援助して建設すべきだ」と真顔で語る韓国人がいた。

1997年に外貨が不足し債務不履行に陥りかけた時も、多くの韓国人が「大丈夫。最後は日本人が助けてくれる」と平然としていた。

実際、日本銀行は韓国銀行のドルの緊急融資要請に応えようとした。

ただ、米国の“拒否権”によってそれは不発に終わり、韓国はIMFの管理下に置かれるようになった。
(後略)

⇒参照・引用元:『米韓同盟消滅』著:鈴置高史,新潮社,2018年10月20日 発行,pp.123-124

強調文字、赤アンダーラインは本記事筆者による(以下同)。

鈴置先生の指摘は非常に的確です。韓国は日米に助けてもらって当然という甘えを肥大化させてきたのです。「日本が全額援助して建設すべきだ」と真顔で語る韓国人がいた、という話には驚くしかありません。

日本はお母さんじゃない!

日米が直接の支援をしないこととし、驚いた韓国の反応について鈴置先生は以下のように書いていらっしゃいます。

(前略)
初めて米国にも日本にも見捨てられた韓国。韓国紙は「もう、誰も助けてくれない。孤独だ」と嘆いた。

親しい韓国人からは「国の困難には自ら立ち向かうしかないとようやく分かった」と告白された。
(後略)

⇒参照・引用元:『米韓同盟消滅』著:鈴置高史,新潮社,2018年10月20日 発行,p.124

最後の「国の困難には自ら立ち向かうしかないとようやく分かった」という告白について、鈴置先生はBSフジの番組で興味深いことをおっしゃっています。「今まで日本はお母さんのように韓国を助けてくれたのに、もうお母さんも助けてくれないのですね」と言われた――そうです。

恨み言のような発言ですが、『IMF』管理下に置かれて初めて「日本はお母さんではない」と分かったようです。ずいぶんお母さんを足蹴にしてきたくせに、助けてもらえないと「お母さんじゃない」と言い出す。

「お前は橋の下で拾った子なんだよ」と言えばよかったのかもしれません。

(柏ケミカル@dcp)

広告
タイトルとURLをコピーしました