最凶最悪の大法院(最高裁判所に相当)院長・金命洙(キム・ミョンス)さんが退任し、次の院長には李均龍(イ・ギュンヨン)さんが指名されました。
本件は、Money1でも先にご紹介しましたが、韓国の左派・進歩系の輩勢力は、李均龍(イ・ギュンヨン)さんに「親日派」のレッテルを貼って非難の声を上げています。
輩が何を問題視しているかというと、李均龍(イ・ギュンヨン)さんの発言です。
李均龍(イ・ギュンヨン)さんが「韓国の文化財がよく保存されているのは日帝の影響」という主旨の発言をしたというのです。
この発言は間違っていません。
筆者などが言うより、松本厚治先生がずばり指摘していらっしゃいますので、以下に先生の著作から一部を引用します。
(前略)
日本の統治の開始とほぼ同時に、打ち棄てられていた事物の記録が作られ、各分野の研究がいっせいに始まった。総督府は学者を糾合して遺蹟の調査を行い、遺物や出土品を整理し、博物館を建てて公衆に展示した。
文化財の出現の時期が戦前に集中しているのは、この時代になってようやく、物理的な発見が文化史上の発見につながるようになったからである。
当時ではもともと古物尊重の観念は希薄で、仏教色や民族色が濃いものほど邪慳に扱われ、記録も残さず遺棄されるのが常だった。
状況を根本的に変え、長く続いた湮滅の歴史に終止符を売ったのは、日本だったのである。
文化財保護の基本法規「朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物保存令」は戦後一九六二年まで移用が続けられ、日本時代の宝物類は一括韓国の国宝に指定し直された。
日本の制度、個々の文化財への評価が受け継がれたのは、それらが韓国の観点からも基本的に妥当なものだったからである。
歴史上初めて、朝鮮的なるものに真摯な関心を寄せたのは、日本人だった。
自国を独自の文化的実体とみなす考えは旧朝鮮にはなく、中国の範型に一歩でも近づくことが理想だったから、朝鮮固有のものへの探求にはやぶさかだった。
日本の研究者はこうした意識とは無縁で、朝鮮文化の特色や個性に目を向け、自らの感性をたよりにイメージを固めていった。
(後略)⇒参照・引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,pp446-447
松本先生の指摘は正鵠を射ています。
韓国の皆さんは悔しいかもしれませんが、日本の併合前、朝鮮半島にはなんにもなかったのです。
そもそも「中国文化こそ至高。中国を模倣したわが国は偉大」という実情であったので、「自国独自の文化などない」(それは下らないもの)と認識していたのです。
ないものを保護することなどあり得ません。
現在、韓国が「朝鮮半島独自の文化」などと誇るものは、朝鮮半島では遺棄され、顧みられなかったものばかり。日本の研究者が発掘し、賞揚し、法律まで作って保護してあげたからこそ、現在に伝わっているのです。
PHOTO(C)Richardfabi/from Wikipedia
例えば、韓国が現在、朝鮮半島の仏教文化を代表するものと喧伝している「石窟庵」(上掲写真が本尊)は、1909年に雨宿りに入った郵便配達人によって発見されました。
朝鮮総督府は、大掛かりな工事を行ってこれの保全に全力を尽くしました。
松本先生は、「石窟庵本尊仏像が今も当初の姿を保っているのは、併合の直前に発見され、日本の懐で大事にされてきたからである」と書いていらっしゃいますが、全くそのとおりです。
付記するなら、そもそも「このような仏像を大事にする」という心情、美意識も日本が朝鮮半島の人に植え付けたものです。そうでなければ、それまで放逐されていた仏像が、現在残ってはいないでしょう。
松本先生が同著で述べられているとおり、韓国というのは日本を丸ごとコピーしようとした、世界でも他に例を見ない国なのです。美意識すらも日本から移植され、それを基に暮らしているというのが本当です。
であるにもかかわらず、韓国の皆さんは「日本を剽窃しようとした結果が現在の韓国であるという事実」に気付いてはいません。「いい気なもの」です。
ですから、李均龍(イ・ギュンヨン)さんの「韓国の文化財がしっかり保存されたのは日帝の影響」という意見は間違っていません。
間違っていないどころか、「朝鮮の独自文化を保護したのは日本である」こそが正しい歴史認識なのです。
こういう正しい認識が「親日派」のレッテルによって、まるで「売国奴の発言」のように言われる。これこそが韓国の問題点であり、一番愚かな点です。
(吉田ハンチング@dcp)