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「1939年 ⇒ 1949年:日本人の朝鮮人に対する好感度はどう変化したか」

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日曜日なので読み物的な記事を一つ。

朝鮮併合時代と第二次世界大戦後で、日本人の他民族(他国人・他人種)に対する好感がどのように変化したのかについての調査結果があります。

これは鈴木二郎先生が自身の著作『人種と偏見』の中で引用されているもの。孫引きになりますが、以下に引いてみます。

上から順番に好感度の高い順(引用者注)

1939年※1
日本人
ドイツ人
イタリア人
満州人
朝鮮人
蒙古人
インド人
アメリカ人
フランス人
トルコ人
黒人
イギリス人
支那人
ユダヤ人
ロシア人

1949年※2
日本人
アメリカ人
ドイツ人
フランス人
イギリス人
イタリア人
満州人
インド人
中国人
トルコ人
ユダヤ人
蒙古人
黒人
朝鮮人

※1
楠弘閣,好性より見た現代日本学生の世界諸民族品等の研究(『心理学研究』第14巻 特輯,1939)
楠弘閣,好性より見た現代日本学生の世界諸民族品等の研究(『心理学研究』第16巻 特輯,1941)

※2
楠弘閣,現時における我国青年学生の民族好悪(『心理学研究』第21巻 第3・4号,日本心理学会 第15大会講演抄録)

⇒参照・引用元:『人種と偏見』著:鈴木二郎,紀伊國屋書店,1969年01月31日 第1刷発行,pp126-127

現在の言葉でいうと「好感度調査」です。1939年(昭和14年)と1949年(昭和24年)に行われています。現在の目から見ると、対象となるのが「どの国の人」なのか、民族なのか、人種なのか、と区分が乱暴な気がいたしますが、ともあれ結果は上記のとおりです。

両方共に青年学生を被験者とした結果ですが、非常に興味深いのは時局に大きく影響されている点です。

戦前の1939年には、日独伊三国軍事同盟が影響したものと見られ、ドイツ人、イタリア人を好ましく思っており、ランキングが高くなっています。

興味深いのは「朝鮮人」に対する好感度です。鈴木先生は以下のように解説していらっしゃいます。

(前略)
1939年の調査の結果によると、日独伊の政治・外交上の蜜月ぶりと、独ソ戦開始が反対の極として象徴的に示されている。

朝鮮人が高位を占めているのは、その後の類似の多くの調査において低位に置かれていることと思い合わせて、きわめて示唆に富んでいる。

被験者たちは、1939年にはまだ朝鮮人を一段下に見ながらも、“内鮮融和”とか“同胞一和”というスローガンの国策の影響下にあって、とにかく日本国民という気持ちで朝鮮人を見ていたのではないだろうか。

十五民族のうち、大部分の被験者にとっておそらく最も接触度が低いか知識を持っていないものは、トルコ人、ユダヤ人、および黒人であろうが、これらはいずれも順位が低い。

支那人が低いのは、明らかに日中戦争の影響であろう。

十年後の調査時には日本は連合国の占領下に置かれていた時代であり、米・英はすでに“鬼畜米英”ではなくなっていた。

これは1949年の調査において、十年前よりも顕著な順位の上昇として示されている。

(中略)

ここで最も大きな変化は、朝鮮人が最下位に落ちたことである。その後の類似の調査によっても朝鮮人はいつも低い順位を与えられている。

これは、敗戦直後における一部の在日朝鮮人の“暴走”と日本政府の対朝鮮政策の反映と見るべきであろう。
(後略)

⇒参照・引用元:『人種と偏見』著:鈴木二郎,紀伊國屋書店,1969年01月31日 第1刷発行,pp126-127


↑一応筆者も本著作は持っております。

念のために書きますが、本著作は「人種に対する偏見はいけません」と説く本です。それは「朝鮮人」についても同じで、鈴木先生は「日本人は朝鮮人を一段低く見てきた」がそれは駄目な態度である旨、丁寧に説明していらっしゃいます。

関東大震災の際には、朝鮮人に襲われるという“うわさ”が広がり、鈴木先生の父上は家族を守るために日本刀で武装したことが本の冒頭で語られています。

鈴木先生は以下のように書いていらっしゃいます。

(前略)
また関東大震災時の朝鮮人大虐殺は政策的に支配階級によって推進されたものであり、またその際に利用されたものが、かねがね人民大衆の間に培われてきた朝鮮人に対する偏見であるということも、ひとまずここで指摘しておきたい。
(後略)

⇒参照・引用元:『人種と偏見』著:鈴木二郎,紀伊國屋書店,1969年01月31日 第1刷発行,p12

鈴木先生(1916年生まれ)は父の姿が恐ろしかったとのこと。

(吉田ハンチング@dcp)

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