日本の現首相・石破茂「北朝鮮に女をあてがわれた」当時の報道はこんな風だった。 – 『Money1』

日本の現首相・石破茂「北朝鮮に女をあてがわれた」当時の報道はこんな風だった。

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2024年11月17日現在、日本の首相は石破茂さんです。

直近の『自民党』総裁選挙で当選して首相になったわけですが、ネット上でには「彼は日本の首相ふさわしくない。なぜなら過去に北朝鮮のハニートラップに引っかかったからだ」という意見が出ました。

これは2024年の現在からすると、もう20年以上も前に出た記事を元にした意見です。

現在では信じられない話ですが、当時は故安倍晋三さんや、石破茂さんは「ネオコン」というレッテルを貼られ、極右的勢力と見られていたのです。石破茂さんは「タカ派」呼ばわりがされていました。

石破茂さんは、むしろ現在では「親中国」といった、どちらかといえばリベラル寄りと見られることの方が多いですから、彼に対する見方はすっかり変わってしまったようです。

また、「北朝鮮のハニートラップに引っかかった」という言い方は少しねじれていて、むしろ石破茂さんの方から「女性をあてがってくれないか」ともちかけたという報道がなされていました。

つまり、自分から引っかかりにいった――というものでした。

冒頭でお断りしていますが、この20年前の報道が「本当のこと」だったのかは分かりません。

流れ的にいうと、まず『週刊文春』が「5/1・8合併号」で「北朝鮮で女をおねだりした 『拉致議連』代議士」という記事を出しました。この記事を書いたのは、あの上杉隆さんです。

この「女をおねだりした『拉致議連』議員」というのが、記事内では名指しされていませんが、石破茂さんだというのです。

この記事に対しては、『北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会』が。2003年04月23日に、以下のように抗議文を出しています。


⇒参照・引用元:『北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会』公式サイト「拉致議連(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)が週刊文春に抗議」

今はなき『噂の真相』誌が『週刊文春』記事の後を追って特集記事を出しました。こちらの方がより詳しく石破茂さんの疑惑についてリポートしています。以下にその記事を引用します。

「石破防衛庁長官の平壌訪問時の由々しき疑惑」
○本誌特別取材班

●「北に女をあてがわれた」との情報が

政府はいよいよ本気で自衛隊をあんな危険な戦地に送り込むつもりらしい。

イラク特措法成立以降も、法成立以降も、実際の自衛隊イラク派遣については国民の反発を恐れて慎重姿勢を保っていた日本政府だが、米アーミテージ国務副長官に「復興協力はお茶会ではない」と恫喝されたことで態度を一変。年内派遣に向けて本格的に動き始めたのだ。

まさに米国の忠犬・小泉ポチ政権による歴史的犯罪――。そしてだとすれば、この犯罪の「実行犯」として真っ先に断罪されなければいけないのが、小泉政権の防衛庁長官・石破茂だろう。

何しろ、石破はイラク特措法で「自衛隊員の安全を確保」することが義務付けられている防衛庁長官という責任ある立場にもかかわらず、ブッシュや小泉のいいなりになって、今や全土が戦闘地域と化したイラクに自衛隊を送り込む命令を嬉々として下そうとしているのだ。

防衛庁担当記者が語る。

「今のイラクに自衛隊を派遣したらそれこそ部隊が全滅させられる可能性だってある。まさに若い隊員の命を危険に晒すわけで、本来なら自衛隊を統括する責任者としても人間としても巡があってもいいはずなんです。ところが、石破にはそんな素振りは見られない。むしろ『自衛隊の真価を発揮するチャンス』といった感じで、大はしゃぎですよ」

しかし考えてみれば、それも当然だろう。

というのも石破はもともと、スパイ防止法制定や徴兵制は合憲といった主張を持つ超のつタカ派であり、趣味は兵器プラモデル製作という軍事おたく。

防衛庁長官就任以降も安倍晋三らとともに、対北朝鮮強硬路線の先頭に立ち、有事法制定や当のイラク派兵で旗ふり役をつとめてきた、まさに小泉政権「ネオコン」路線の中心人物なのだ。

「石破や安倍は今、集団的自衛権行使容認や憲法改正を実現させようと必死ですからね。

近い将来起きるであろう米国と北朝鮮との戦争を想定して、自衛隊を北に出すための方策も練っている。イラク派兵はその格好の露払いというわけです。

かりに今回のイラク派兵で自衛隊員が犠牲になっても、こうした動きに利用できる千載一遇のチャンスとしか考えていないでしょう」(政界関係者)

ところが、その北との戦争まで視野に入れているというタカ派防衛庁長官にここ最近、水面下である信じがたい噂が囁かれ続けている。

その噂とはズバリ、石破が10年ほど前、北朝鮮を訪問した際に、北から女をあてがわれたのではないかというものだ。

実は今から半年ほど前、『週刊文春』(5/1・8号)が「北朝鮮で女をおねだりした『拉致議連』代議士」なる特集記事を掲載。

その中で北朝鮮高官のこんなコメントを紹介したことがある。

<拉致議連に所属するある議員は女の人が大好きです。かれが共和国に来たときは、『女、女!』と要求してみなを苦笑させました。

それでもしつこく要求してきて、結局その議員は女の子と夜を過ごしました>

記事では実名を伏せられているものの、実はこの「拉致議連に所属するある議員」こそ防衛庁長官就任前に拉致議連会長をつとめていた、石破茂だというのである――。

たしかに、これまでも日本の政治家が北朝鮮で下半身接待を受けたといった話は何度か浮上したことがある。

たとえば、故・金丸信が90年9月、当時、社会党の副委員長だった田辺誠らとともに訪朝した際には、「金丸が北で女をあてがわれ、恥ずかしいビデオを盗撮された」というエピソードが広く流布された。

だが、その政治姿勢についても「北に屈伏した」と非難された金丸と違い、石破は今や対北強硬派最右翼の一人である。

そんな政治家が北でホイホイと下半身接待を受けたという話はにわかには信じがたい。

しかし、本誌があらためて取材を行ったところ、少なくとも、北朝鮮の高官が石破について「女をあてがった」という発言をしていたのは紛れもない事実だった。

●北の高官による信じがたい「証言」

北の高官からその発言を聞いたのは今年3月、平壌入りした訪朝団のメンバーだった。

この訪朝団は「グローバルレインボーシップ」というNGOが主催し、SMの女王・青山愛や勝手連会長、右翼関係者、関西朝鮮総連関係者など約35名ほどが参加したものだ。

そしてこの訪朝団メンバーが、問題の発言を聞いたのは、一行が平壌入りした翌日、朝鮮対外文化連絡協会(対文協)の職員に連れられて、高麗ホテルから数軒先のマンションの2階にあるカラオケバーに行った時のことだったという。

その訪朝団メンバーのひとりが語る。

「高麗ホテルでの食事の後に女性も含めた25人ほどで行ったんですが、このカラオケバーは日本人が北朝鮮当局者らと酒を飲む際、必ずといっていいほど連れて行かれるといわれる場所。

80平米ほどの店にはテーブル席とカウンターがあり、舞台にはレーザーディスクカラオケが用意されていました。

いくつかのグループに別れ、テーブルごとチマチョゴリの女性や対文教職員が同席しまいた。女性はハングルしか話せない感じでしたね。もちろん客は私たち以外は誰もいませんから、貸し切り状態でした」

そして酒が入り、日本語の歌やアリランなどが熱唱され、場は盛り上がっていったのだが、参加者と対文協職員の間では時間が経つにつれ、会話は拉致問題などの政治的な話題に移っていった。

「拉致などの話が出た後、日本の政治家の話になりました。

すると、私たちのテーブルについた2人の対文協職員が『日本の政治家はだらしがない』といったんです。

そこで何がだらしがないんだと聞くと、飛び出したのが『女にだらしがない』『今、日本の防衛庁長官をやっている政治家も女にだらしない』という発言だった」(前出・訪朝団メンバー)

そしてこの訪朝団メンバーが「それは石破茂のことか」と問いただすと、対文協職員はうなずきながら、こう語ったという。

「10年ほど前、このカラオケバーにきた。そして水割りを飲んで『女、女』と要求してきた。そこで一旦(泊まっていた)高麗ホテルに帰し、同席していて一番気に入っていた女性をホテルに連れていった。

女性は部屋の前でドアをノックして『マッサージです』と言うと、女性を部屋に招き入れた」

また、彼らはその席で「(石破は)その席に座って水割りを飲んだ」「チマチョゴリの女性にこう接していた」と詳細に当時の様子を再現してみせたという。

にわかには信じがたい話だが、この時、同じテーブルにいた他の訪朝団参加者もこの話を聞いており、そのうちの一人はやはり本誌に同様の証言をしている。

しかも、彼らはこうした発言をした「2人の対文協職員」の名前も本誌にはっきりと明言したのである。

彼らによれば、ひとりは「対文協日本副局長」という肩書きを持つ「孫哲秀」、もうひとりは同じく対文協の「日本課長」の「李成浩」だったという――。

北朝鮮の内情に詳しいジャーナリストがこの2人についてこう解説する。

「今回、石破の話をしたという日本課長や副局長というのは、対文協でもかなり高い地位にある、いわゆる政府高官です。

実際、李成浩は97年に北京で開かれた朝日赤十字連絡協議会の朝鮮側の団長を務めていますし、孫哲秀については、日朝首脳会談の通訳をつとめていたとの話もある。そうした重要な地位にある人物たちが、そんないい加減なヨタ話をするとは思えないんですが……」

また北の長官から石破に関する話を聞いたのは、3月の訪朝団メンバーだけではなかった。

ここ数年の間、何度か訪朝しているあるマスコミ関係者が今年に入ってからの訪朝で、やはり孫哲秀副局長、李成浩課長からほとんど同様の話を聞いていたことも確認できた。

今度はこのマスコミ関係者が語る。

「私の場合も場所はやはり高麗ホテルから歩いて数分のカラオケバーでした。私は以前の訪朝の際にも、このカラオケバーに連れて行かれたことがありました。

何度か来ているので、対文協の人間とも親しくなったこともあり、ためしに『女性を部屋に連れて行けないのか』と聞いてみた(笑)。

すると、共和国ではそんなこと(売春)は存在しない、という。でもそれは建前だろうと、さらに突っ込んでみた。

すると、一般人はダメ。でも政治家だけは特別だというんです。

そして実際に女性を要求してきた日本の政治家がいた、というのです。

その政治家の実名は口にしませんでしたが、10年ほど前、〝若くて三白眼の代議士〟が『(小指を立てて)これ、いないの?』と要求したというのです。

『この政治家は共和国の人間に似ている』ともいっていました。そして部屋でのサービスを受けたと聞きました」

●訪朝の事実を隠していた?石破長官

ここまでくると、北朝鮮の高官が訪朝メンバーに対しこうした発言をしたこと自体は紛れもない事実のようだが、その中身ははたしてほんとうなのだろうか。

そもそも北強硬論を唱え、拉致議連会長までつとめていた石破が過去に北朝鮮を訪問したことがあるという話じたい、これまでまったく聞いたことがない。

だが調べてみると、石破は実際に11年前、平壌を訪問していた。

92年4月、自民党と旧社会党が100人以上もの規模の訪朝団を組んで渡朝しているのだが、石破はこの訪朝団のメンバーとして訪朝していたのである。

当時、訪朝団に同行した新聞記者が語る。

「この訪朝の時、出発前日に自民党の団長をつとめるはずだった山村新治郎が次女に刺殺されるというショッキングな事件が起こったが、訪朝団は予定どおり4月14日に平壌入り。

一行はマスゲームを見物したり、歓迎レセプションに参加するなどのスケジュールをこなして、17日に帰国しました。

ええたしかにその中に石破さんもいましたよ」

しかも、石破の宿泊先もまさに、北朝鮮の高官が名指しした通り、高麗ホテルだった。

「自民党代議士はほとんど全員、高麗ホテルに宿泊していましたよ。

私たちは別のホテルでしたので、部屋の中の様子までは窺い知れませんでしたが。それに訪朝した翌日か翌々日、かなり多くの代議士がカラオケバーに行ったようでした」

この記者によれば、問題の高麗ホテル近くのカラオケバーには個室もあり、ここで「特別な接待」を受けることも可能だったという。

「中国の例をみるまでもなく、カラオケやサウナ接待は古典的外交術のひとつです。北朝鮮にすれば、日本の政治家が大挙してやってきたのですからあの手この手で籠絡する機会を窺っていたとしても不思議ではありません」(北朝鮮外交に詳しい評論家)

果たして石破はほんとうに北で女をあてがわれたのか否か。

ここはやはり、当の石破長官にコトの真偽を直撃するしかないだろう。

しかし、本誌の取材申し込みに、FAXで回答をしてきた石破事務所が認めたのは訪朝の事実とカラオケバーに行ったことのみ。

それ以外の疑惑については完全否定だった。

また、石破は件の『週刊文春』の記事でも匿名のままこんな否定コメントを寄せている。

「二次会でホテルの外に飲みに行ったことはあるが、カラオケスナックのようなところで、私は歌った覚えはない。店には女性は二人いたが、私は帰って寝ただけ。

(女性との関係は)五百パーセント、千パーセントない。

もし本当にご指摘のようなことを北朝鮮が言ったとすれば、外交的にもプラスではない。卑劣で稚拙なやり方です」

たしかに、北朝鮮といえば、デマによるプロパガンダや情報操作を得意としている謀略国家。今回の発言も、昨年の小泉訪朝以降、圧力が日増しに強まっている状況下で、北側が強硬派路線の中心人物である日本の防衛庁長官を政治的にねらい撃ちしたという可能性は否定できないだろう。

だが、かりにそうであったとしても、今回の問題にはたったひとつだけ動かしがたい事実がある。

それは、拉致議連会長までつとめタカ派防衛庁長官が過去に北朝鮮を訪問し、そしてある時期からそれをまったく公にしなくなっていたという不可解な事実だ。

実際、本誌の取材には訪朝を認めた石破だが、彼の公式HPを見ても訪朝の記述はまったくないし、最近、北に関して様々な発言をしている中でも、自らの訪朝体験については一切触れていない。

いやそれどころか、『週刊文春』から件の記事で取材を受けた際には、当初、石破は訪朝そのものを否定していたというのだ。

当の『文春』関係者が語る。

「ええ。たしかに石破さんはウチが最初に取材した時は、『北朝鮮なんか行った記憶がない』とシラを切っていたんです。

それでこちらが92年の訪朝の資料を出したら、ようやく『そうだったかなあ』と認めて、記事に掲載したコメントを出したらしい」

これはいったいどういうことか。

●タカ派防衛庁長官が金日成にお祝いを!

そもそも、石破が参加した2年の訪朝というのはたんなる視察旅行ではなかった。

実をいうと、この訪朝団の目的はなんと金日成主席の生誕80周年祝賀式典に出席するためだったのである。

前出の訪朝団に同行した新聞記者が語る。

「その通りです。この時の訪朝団はまさに北朝鮮の首領・金日成主席の80歳をお祝いするために行ったのです。

実際、一行は祝賀式典にも出席していますし、金日成主席にも会見している。参加者も北朝鮮に友好的な議員がほとんどだったと思います」

そして実をいうと、石破自身、当時はこうした訪朝団に参加してもなんの不思議もない政治家だったのである。

今度は石破の地元政界関係者が語る。

「たしかに当時の石破さんは北朝鮮に対する強硬派でもなんでもなかった。

どちらかというと北に友好的だったんじゃないでしょうか。

というのも、石破さんの地元選挙区である鳥取は、今年上半期に入港した北朝鮮船籍の数が198と全国最多だったことでもわかるように、北朝鮮と経済的に深い関係にあるんです。

とくに水産の分野では関係が深く、73年には水産会社などの要請で境港市議会が『日朝友好親善促進決議を採択したこともあるし、78年には訪朝団まで送っている。

しかも境港市と北朝鮮の元山市は友好都市関係まで結んでいますし、昨年は片山知事が訪朝しているほどです。

鳥取選出で農水族の石破さんもかつては、こうした鳥取の北に対するスタンスをずっと支持していたはず」

ところが、その石破は拉致問題が脚光を浴び始めると、拉致議連に参加。

数年前から、一転して北に対しての強硬姿勢を強め始める。

そして現在、自らの訪朝の事実さえ公にせずに、“ネオコン内閣”の代表格として、同じく拉致問題のヒーロー安倍幹事長ともども、あたかも北朝鮮と戦争さえしかねないような強硬な言辞を唱え続けているのだ。

なんとも驚くべき豹変ぶりだが、石破を知る政治評論家がその背景をこう推察する。

「石破はもともと北朝鮮の拉致問題にも強い関心があったわけではなく、拉致議連ができた時も参加さえしていなかった。

ところが、98年から99年頃、自民党安全保障調査会の副会長や衆院安全保障委員会の委員を歴任したあたりから、急に北朝鮮に関する強硬な姿勢が目立ち始め、昨年には拉致議連の会長にまで就任してしまったというわけです。

この豹変の背後にあるのはおそらく米国の存在でしょう。

自民党安全保障調査会といえば、所属議員が定期的に米国に招待され、そのまま米国防当局に取り込まれてしまうといわれていますが、石破も安全保障を通じて米国と急接近したとたん、唐突に対北強硬路線に転換しているわけですから。

もともと石破は自民党から新生党、新進党、そしてまた自民党に出戻るというキャリアを見てもわかるように、情勢に流されやすい風見鶏タイプですしね」

その意味では、今回の問題の本質は、石破が北で女をあてがわれたか否かというより、北に対して勇ましい台詞をはき続ける日本版ネオコン政治家も一皮剥けば、米国の意向に逆らえない操り人形にすぎないという、この国の政治の現実にあるというべきだろう。

折しも、北朝鮮に対してこれまでは強硬路線を崩さなかった米ブッシュ大統領が、この10月のAPECに出席した際の共同発表文で、「北朝鮮を侵略する意図がない」ことを表明。さらに核開発中止を条件に「安全の保証」についても言及するなど、明らかに北への歩み寄りの姿勢を見せ始めた。

米国の強硬路線の意向を背景に、忠犬よろしく米国追従をしてきた石破や安倍をはじめとする日本版ネオコン連中がこれからどう転んで路線修正するつもりなのか、けだし見物ではないか。<敬称略>

⇒参照・引用元:『噂の真相』2003年12月01日発行 第25巻第13号(通巻302号),pp24-29

この『噂の真相』記事が出たのは2003年で、すでに20年以上も前です。

石破茂さんは日本の首相になりました。もし、北朝鮮で……というのが本当のことであれば、それはアメリカ合衆国の情報機関も知っていることでしょう。

(吉田ハンチング@dcp)

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