「竹島密約」とは。

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日本固有の領土である「竹島」を韓国が不法占拠しています。

1965年の日韓基本条約では「竹島」については書かれていません。

過去の「日韓併合の時代」を精算して新たな二国間関係を始めるためには、請求権をどうするか(お金)、竹島をどうするか(領土)の二つについて確定させなければならなかったはずです。

しかし、請求権については「これで朝鮮半島に対する日本の債務は全て片付いた」という条文で締結したにもかかわらず、竹島の方は放置されました。

これは表向きのことであって、国民に知らされずに「決着」(というか合意)がされていた――と、見られています。

いわゆる「竹島密約」というもので、簡単にいえば「解決しないという解決法」を採用したというのです。

竹島密約の中身は以下のようなものである――とされています。

竹島・独島問題は、解決せざるをもって、解決したとみなす。

したがって、条約では触れない。

(イ)両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。

(ロ)しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引し、重なった部分は共同水域とする。

(ハ)韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。

(ニ)この合意は以後も引き継いでいく。

⇒参照・引用元:『竹島密約』著:ロー・ダニエル,草思社,2008年11月01日 第1刷,p208

この密約が朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が裁可されたのが1965年01月12日とされています。日韓基本条約の仮調印が同年02月20日、正式調印が同年06月22日です。

仮調印のギリギリ、ほぼ1カ月前に「解決しないという解決法」が裁可されたことになります。この解決法をもって、領土(竹島)について触れない基本法が締結された――と見られるのです。

竹島密約がいかに締結されたのかについては、上掲を引用したロー・ダニエルさんの『竹島密約』に詳細に書かれています。

同著によれば「1982年11月、総理大臣になった中曽根康弘がやりたかったことの一つが『河野・丁密約』を記した用紙がどこにあるのかを探すことであった」――なのですが、ダニエルさんが87歳(2007年01月30日当時)の金鍾珞さんに取材し、「どこにあるのか」と質問をぶつけています。

金鍾珞さんの回答は「私が燃やした」でした。理由は「歴史の逆賊という烙印を押されることを恐れた」から、とのこと

日本政府は「密約はない」

では、この竹島密約は「本当にあったのか?」です。日本政府は過去に否定しています。

本件については、2007年(平成19年)、鈴木宗男議員(当時)から以下のような質問が政府に出されています。

平成十九年三月二十六日提出
質問第一四四号

竹島密約に関する質問主意書
提出者 鈴木宗男

竹島密約に関する質問主意書


二〇〇七年三月二十日付産経新聞が、「『竹島棚上げ合意』 国交正常化前 〝密約〟存在 韓国誌が紹介」という見出しで、

「日韓が領有権を争っている竹島(韓国名・独島)に関し、両国はお互い領有権の主張を認め合い、お互いの反論には異議を唱えないとの〝密約〟があった-と、十九日発売の韓国の総合雑誌『月刊中央』(中央日報社発行)四月号が伝えた。また〝密約〟では、韓国は『独島』での駐屯警備隊の増強や新しい施設の増築はしないとなっていたが、韓国側はその後、この約束を守らなかったとしている。

竹島問題について日韓双方は、国交正常化(一九六五年)の交渉過程で領有権を棚上げすることで合意していることは、日本では知られている。これは韓国側も日本の領有権主張を一応、了解していたことを意味するが、韓国ではこのことはほとんど知らされておらず、近年は日本に対する一方的な非難、糾弾に終始している。

韓国マスコミは竹島問題で韓国の立場を支持する日本の学者や研究者などの話は大々的に伝えるが、不利な意見や主張は無視するのが通例だ。今回の報道は竹島問題をめぐる日韓の交渉過程の出来事を客観的に紹介するものとして異例だ。

同誌によると、この〝密約〟は、国交正常化五カ月前の一九六五年一月、訪韓した自民党の宇野宗佑議員(後の首相)と韓国の丁一権首相の間で交わされた。

内容は島については今後、双方が自国の領土と主張することにし、これに反論することに異議は提起しない

韓国が占拠している現状は維持するが、警備隊員の増強や新しい施設の増築などはしない

両国はこの合意を守る-などで、韓国側では朴正熙大統領の裁可を受け、日本側では佐藤栄作首相などに伝えられたという。

〝密約〟を証言しているのは、日韓国交正常化を推進した金鍾泌・元首相の実兄、金鍾珞氏ら。金鍾珞氏は当時、経済界にいて舞台裏で国交正常化作業を手助けした。

竹島問題での対立が国交正常化の大きな障害になっていたため、金氏が『将来に解決する』ということで棚上げ案を出し、合意にこぎつけたという。

韓国政府は当初、竹島支配については現状維持で目立った動きはしなかったが近年、接岸施設の建設など物理的支配を強めているのが実情だ。」

という記事が掲載されていることを外務省は承知しているか。


日本と韓国が国交を正常化した時点で、竹島問題についてどのような合意がなされたか。


竹島については今後、双方が自国の領土と主張することにし、これに反論することに異議は提起しない、韓国が占拠している現状は維持するが、警備隊員の増強や新しい施設の増築などはしない、両国はこの合意を守るなどという内容の日韓両国政府の合意が存在するか。


現時点の竹島問題に対する韓国の姿勢を政府はどのように評価しているか。

右質問する。

⇒参照・引用元:『日本国 衆議院』公式サイト「竹島密約に関する質問主意書」

当時の安倍晋三政権の回答が以下です。

平成十九年四月三日受領
答弁第一四四号

内閣衆質一六六第一四四号
平成十九年四月三日
内閣総理大臣 安倍晋三

衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員鈴木宗男君提出竹島密約に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員鈴木宗男君提出竹島密約に関する質問に対する答弁書

一について
御指摘の報道については、外務省として承知している。

二について
我が国は、大韓民国による竹島の不法占拠は、竹島の領有権に関する我が国の立場に照らし受け入れられるものではないとの立場であり、御指摘の「時点」においても同様の立場をとっていたものである。このような経緯等も踏まえ、政府としては、昭和四十年に締結された日本国と大韓民国との間の紛争の解決に関する交換公文(昭和四十年条約第三十号)にいう「両国間の紛争」には、竹島をめぐる問題も含まれているとの認識である。

三について
お尋ねの「合意」が行われたとの事実はない。

四について
政府としては、大韓民国による竹島の不法占拠は、竹島の領有権に関する我が国の立場に照らし受け入れられるものではないとの立場である。

⇒参照・引用元:『日本国 衆議院』公式サイト「衆議院議員鈴木宗男君提出竹島密約に関する質問に対する答弁書」

「『合意』が行われたとの事実はない」と明確に書かれています。

しかし、それならなぜ「「日本の外務省と韓国の外務部がまるで年末の挨拶状のごとく、『竹島はわが領土』、『独島はわが領土』と主張する口上書を『交換』しながら、それを無視する慣行を守ってきた」のでしょうか。

仮にあったのだとすれば、この竹島密約については文書が現存しないので「申し送り」をもって双方の外務省(外交部)に受け継がれてきた――と見られます。

ところが、ロー・ダニエルさんも指摘しているとおり、日韓基本条約を締結した朴正煕(パク・チョンヒ)大統領、次の全斗煥(チョン・ドファン)大統領、さらに盧泰愚(ノ・テウ)大統領までは良かったのですが、金泳三(キム・ヨンサム)大統領時代は申し送りを受けなかったと考えられます。

金泳三(キム・ヨンサム)政権下、1995年12月には竹島に埠頭建設を始めました。

もし密約があったのであれば、密約であっても国同士の約束に代わりはありませんので、これは明らかな約束破りです。

「(ハ)韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない」を守りませんでした。

密約があって申し送りを受けていたとして、当時日本の外務省は「ゲッ!」と驚愕したでしょう。「約束を破りやがった」です。

仮に密約があって上掲とおりの内容だったとすれば、韓国は密約さえ守らない国だ――ということになるのです。

――今となっては、たとえ密約があったとしても、文書もなければ、守られなかった、という状況です。

「大人の知恵」か「清濁合わせ飲む」か「大局観からの政治的決着」か知りませんけれども、透明性のないその場しのぎを図ったところで、時間がたてば破綻するよ――ではないでしょうか。

(吉田ハンチング@dcp)

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