「在日朝鮮人をすべて半島に送還する提言」実はGHQは肯定的だった。

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1945年08月15日、終戦の日を迎えましたが、日本はそれから復興に向けて艱難辛苦の道を歩みました。

1949年08月終わりか09月初旬に出されたと推定される文書が残っています。吉田茂さんからマッカサー元帥に宛てた書簡です。

総理府用箋が用いられており、吉田茂さんの署名はありません。

マッカサーさんが読んだことは確かで、右上に「シーボルトへ――君はどう思うかね? 1590マック」とマッカーサー自筆の書き込みがあります。

在日朝鮮人の全員送還を望む

連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥閣下
親愛なる閣下

日本の戦後の諸問題のうち朝鮮人と台湾人に関するものがありますが、彼らはかつて日本国人であり、現在もこの国に依然として滞在しているものです。

ここでは台湾人については、彼らが比較的少数であり、それほど問題は起こしておりませんので、しばしふれないことにいたします。

しかし、総数約100万人。

そのほぼ半数は不法入国者であるところの在日朝鮮人の問題について、われわれはいま早期の解決を迫られております。

私はこれらの朝鮮人がすべて、彼らの生国の半島に送り返されることを欲するものです。

その理由は以下のとおりです。

(1)日本の食糧事情は、現在もまた将来においても、余分な人々を維持することを許しません。

アメリカの厚意によって、われわれは大量の食料を輸入していますが、その一部は在日朝鮮人を食べさせるために用いられています。これらの輸入は、将来何世代にもわたって、わが民族の負債となることでありましょう。

もちろん、われわれはそのすべてを返済する覚悟を固めておりますが、この対米負債のうち朝鮮人のために生じた分まで、将来の世代に負わしむるのは、公正なこととは思えません。

(2)これら朝鮮人の大多数は、日本経済の再建に貢献しておりません。

(3)もっと悪いことには、これら朝鮮人は犯罪を犯す割合がかなり高いのです。

彼らはわが国の経済法規を破る常習犯です。かなりの数が、共産主義者かその同調者であり、もっとも悪質な政治犯罪を犯しがちなのです。

投獄されている者は、常に7,000人を超えています。

戦後今日まで裁判に付せられた、朝鮮人による刑事事件は以下のとおりです。

年次 事件数 朝鮮人関連者数
1945 5,334 8,355
1946 15,579 22,969
1947 32,178 37,778
1948 17,968 22,133
合計 71,059 91,235 

さて朝鮮人の送還計画として私が考えるのは次のようなものです。

(1)原則として、朝鮮人は全て送還され、その費用は日本政府の負担とする。

(2)日本に在住を希望する者は、日本政府に許可を申請べきものとする。在住許可は、日本経済の再建に貢献しうるとみなされた者に与えられる。

以上述べました私の考えが、貴官によって原則的に承認を得られた場合は、送還に伴う予算その他の具体的措置について、あらためて案を提出いたします。

敬具
吉田茂

『マッカーサー記念館』所蔵資料、レコード:・グループ5、ボックス3

強調文字、アンダーラインなどは引用者による。
英文書面の翻訳は『吉田茂=マッカーサー往復書簡集 [1945-1951] 』著編:柚井林次郎より引用/講談社学術文庫版,pp448-450より引用

朝鮮半島ウォッチャーにとっては基本資料となる歴史的文書ですが、現在では多くの人がこの文書の存在をご存じでしょう。

では、この吉田茂さんからの書簡に対して、当時日本を支配していたGHQ側の反応はどうだったか知っているでしょうか。

この手紙にはシーボルトGHQ外交局局長の手紙のメモが付いています。

外交局の作った(吉田茂さんへの返書の)草稿も添えられていますが、基本的には外交局は吉田提案に賛成しています。草稿では「送還は進められるべき」となっています。

普通なら当時において在日朝鮮人は朝鮮半島に送還されるはずでした。

しかし、この吉田茂提案はうやむやになってしまったのです。

なぜかというと――この書簡から約9カ月後、1950年06月25日、北朝鮮の金日成が38度線を破って朝鮮戦争を始めたからです。

(吉田ハンチング@dcp)

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