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【速報】韓国の「全斗煥」元大統領が死去

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2021年11月23日08:40頃、韓国・ソウル延禧洞の自宅で全斗煥(チョン・ドファン)元大統領(90歳)が死去しました。

2021年10月26日に死去した盧泰愚(ノ・テウ)さんの後を追うように亡くなりました。

全さんは、日本併合下の1931年、慶尚南道・陜川(ハプチョン)生まれ。1950年、陸軍士官学校を卒業。陸士11期で、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領は同期です。士官学生時代には、朴正煕(パク・チョンヒ)のクーデターに学生を率いて賛同。

クーデター後、朴大統領から評価され、軍人でありながら政治にも関わるようになります。大統領府警護室次長補、国軍保安司令官、第10代中央情報部部長、国家保衛立法会議常任委員長、陸軍大将などを歴任。

1979年、朴大統領が暗殺されると、犯人逮捕の指揮を執り、実権を掌握して戒厳令体制に移行。1980年には戒厳令を全国に拡大し、左派と目される政治家の逮捕・軟禁を実施。市民運動、学生運動を力で押さえ込む措置をとり、同年には光州事件が起こりました。

この光州事件は、現在の韓国では軍政下での暴挙として捉えられています。いわば、韓国にとっての「天安門事件」です。

ただし、この光州事件には全氏からの言い分もあって、光州で行われていたのは市民運動などではなく、北朝鮮が介入した共産主義勢力による武装蜂起だった――というのです。

全氏は回顧録に「事件は北朝鮮軍が介入した反乱、暴動だ」と書いています。この回顧録は光州地裁によって販売・配布禁止とされました。

全斗煥政権による運動抑圧によって逮捕された学生運動家の弁護士を買って出たのが、若き日の盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領、文在寅大統領です。盧、文の二人は釜山で共同弁護士事務所を開いており、学生の弁護を担当したのを契機として政治活動に身を投じることになりました。

全氏は1980年に第11代大韓民国大統領に就任。1981年02月、改正された新憲法で第12代大統領に当選した。この全氏の軍政権の後を受け、大統領になったのが、全氏の陸士同期だった盧泰愚(ノ・テウ)氏です。

先にご紹介しましたが、全斗煥氏は歴代大統領の中でも最も否定的な評価が多い人物です。先にご紹介したとおり、尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領候補が「政治的には評価できる点もある」と述べて全方向から集中砲火を浴びるぐらいなのです。

しかし、毀誉褒貶は人の世の常。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

(柏ケミカル@dcp)

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