韓国はアメリカ合衆国の始めたベトナム戦争の参戦しました。先にご紹介したとおり、外貨を稼ぐため、また合衆国に貸しを作るためです。
韓国は「ベトナム特需」で大きな経済的恩恵を受けました。
しかし、ベトナム戦争では韓国軍によるさまざまな「事件」が発生し、これはいまだにベトナムと韓国の間に大きな溝を残しています。
日本人はあまり知りませんが、「ハミの虐殺」という事件がありました。1968年02月24日に起こった、クアンナム省ディエンバン県ディエンズオン社ハミ村で135人の民間人が殺害された事件です。
フォンニ村、フォンニャット村で起きた民間人殺害事件(1968年02月12日)に続いて起きたもので、韓国軍青龍部隊(旅団)が起こしたとされます。
村山康文先生の『韓国軍はベトナムで何をしたか』によれば、事件で亡くなった74人の名前が記された慰霊碑には「韓国の兵士による虐殺」と記されているとのこと。
ハミ村の方にも慰霊碑があるのですが、これについてベトナムと韓国で騒動が起こったのです。その経緯は以下のようなものでした。
真実になぜ蓋をしなければならないのか
1999年09月、青龍部隊の元軍人グループが2万5,000ドルを慰霊碑建立のために寄付。ディエンズオン社が土地を提供し、ハミ村の人々は労働力を提供しました。
慰霊碑の表面には犠牲者135人の名前、裏面にはハミ村から詩才があるからと依頼され、『クアンナム新聞』の記者であったグエン・ヒュー・ドーンさんが碑文の文面を制作しました。
グエン・ヒュー・ドーンさんの詩文は、「歴史書の記録によれば、海と川が混じり合うディエンズオンに……」で始まるものでしたが、中ほどに「1968年の早朝、陰暦01月26日、青龍部隊の兵士が狂ったようにやってきて人々を虐殺した。ハミ村35家族のうち135名を殺した。ここは血に染まり……」で始まる、韓国軍が何をしたかを記した部分がありました。
これが問題となったのです。
この文面を現地で確認した青龍部隊の元軍人はこれに反発。韓国の外交通商歩を通じて、詩の内容変更、部分削除をベトナム政府に要求。
ベトナム政府は、クアンナム省の人民委員会に圧力をかけ、クアンナム省はハミ村の村長を通じてディエンズオン社の住民を説得しようとしました。
しかし、住民は「真実が書かれているだけなのになぜ消さなければならないのだ」と反発。上からの要求を無視していたのですが、ついに耐えかねるようになりました。
「歴史を歪曲して記録するよりは、むしろ記録しない方がよい」とし、裏面の詩文に蓋(ふた)をすることを選択しました。
このような経緯を経て、2002年に慰霊碑はようやく落成の日を迎えました。
村山先生が現地を実際に訪れた2015年06月には蓋をされたママの慰霊碑がありました(本には写真も掲載されています)。
「このようなことがあった」と現地の人が信じる真実は蓋をされて既に20年が経過しました。
『韓国軍はベトナムで何をしたか』はこれまであまり知られていなかった歴史の暗部に目を向け、丹念に取材を行ってまとめられた優れた著作です。もしご興味があれば、ぜひご一読ください。
⇒参照・引用元:『韓国軍はベトナムで何をしたか』著・村山康文,小学館,2022年08月06日 初版第一刷発行,pp111-118
(吉田ハンチング@dcp)