日本からすると韓国は法治国家ではありません。国と国との約束を守らない国だからです。そんな国の現大統領が、法治の守護者たる検察総長を務めた方だというのは歴史の皮肉を感じずにはいられません。
しかし、韓国人が法律を守らないというのは、特に日本人だけが感じることではないのです。
他ならぬ、韓国人自身もそれを実感しています。その上で「なぜだ」と問うわけですが、これを日本の朝鮮併合のせい――などという「人のせいにするのもいい加減にしろ」と言いたくなるような「論」があったのです。
昔の書籍を読み返していて見つけたのでご紹介してみます。以下に引用します。
(前略)
では、韓国人に法律意識が不足している原因は、何か?まずは、「縁」と「情」を異常に重視するという問題だ。
紛争が起こったとき、大多数の人はそれを法律で解決することよりも、むしろ相手との「つながり」を求めることに力を注ぐ。
この現象は、韓国人の長所ともいえるが、逆に、法律の生活化という側面ではまったくかけ離れた作用をおよぼす。
つぎに、韓国人の性急さと、「われ先に」という心理を指摘することができる。原則と秩序を無視したまま、すべてのことを自分だけが先ににあせって進めようとするあまり、法律自体を無視することになるということだ。
(後略)⇒参照・引用元:『韓国人の自己診断』編:東亜日報,訳:国際関係共同研究所,光文社,1991年02月28日 初版1刷発行,pp.104-105
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による/以下同
念のために書いておきますが、上掲の記述を引いた『韓国人の自己診断』という本は、韓国メディア『東亜日報』に連載されたコラムをまとめたもので、すなわち著者は全て韓国人です。
1991年に発行された本ですので、韓国がいわゆる「漢江の奇跡」を継続中の高度成長期にあり、経済が発展してきたので「我が身を振り返ろう」という意図で連載されたコラム記事なのです。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉のとおり、「経済発展によって私たちは何か大切なものを失ったのではないか。我が身を振り返ってみよう」という、よくある、陳腐な目論見で編まれたものです。
文化人のエライ先生方が言いそうな命題です。
ですので、この本に現れる分析や反省は韓国人の皆さん自身によるもの。また、アジェンダとして取り上げられているのも、韓国の皆さんが「そうそう!」と妥当性を感じるものばかりのはずです。
その中で「韓国人はなぜ法律を守らないのか」がアジェンダとして挙がっています。つまりは、韓国に皆さん自身が「私たちは法律を守らない」と感じていることに他なりません。
――で、その回答が、まずは上掲の2つのわけですが、以下のような説明もあるのです。
(前略)
日帝時代には、法律を守らないことがすなわち愛国だという発想だったが、これが現在まで引き継がれているという解釈もある。日帝は、法律を通じて植民地支配を強化したため、当時はむしろ法律を無視する行為が被支配民族の立場からは国を愛することだった。
(後略)⇒参照・引用元:『韓国人の自己診断』編:東亜日報,訳:国際関係共同研究所,光文社,1991年02月28日 初版1刷発行,p.105
併合時代には、日本が科した法律を守らないことが愛国であった。その慣習が今に残っているのだ――という無茶苦茶な屁理屈です。
1945年に日本の統治が終わり、1991年になるというのに、このような主張を載せた本が出るのです。
「よくまあ恥ずかしくないな」と呆れるばかりです。日本人なら誰が聞いても絶句するでしょう。
韓国の皆さんが法律を守らないのは、ただ単に「順法精神が欠如しているから」ではないのでしょうか。
ただ、「日本との約束を破るのは愛国である。だから是とする」という考えをいまだに持っているのではないか――と疑えるので、一概にこの分析を笑うことはできません。
(吉田ハンチング@dcp)