識者の方々の中には、いまだに「日本は東アジアの一部なので……」「日本は東アジアの連帯を強めるべき」などと述べる方がいらっしゃいますが、その「東アジアの連帯」なる幻想を抱くことが、そもそもの間違いです。
そんなことはできないからです。
「東アジアの連帯」を説く皆さんに限って、東アジアの国々がどんな国であるのか詳しく知りません。「漢字を使っている国同士だから」「昔から交流があったから」分かり合えるはずだ――などと思いこむのです。
で、その思い込みの下に進めると――手痛いしっぺ返しと断絶を味わうことになるのです。「こんなハズじゃなかった」と。
長くなって恐縮ですが、古田博司先生の至言を以下に引きます。
こと東アジアに関して、アジアを知るものと、アジア主義者であることは、おそらく別の次元の在り方である。
アジアとの連帯を叫ぶものが、アジアを知るものであるとは限らない。
過去往々にして、連帯を志向するアジア主義者の多くが、戦前は国家主義者やファシストであったり、戦後はコミュニストや社会主義者などのプロパガンディストであったことが、それを雄弁に物語っている。
彼らの連帯の錦の御旗は、前者では英米からのアジア解放であり、後者では日米安保体制反対であったが、その共通点に立脚すれば、共にアングロ・サクソン中心の資本主義に対抗するために東アジア連帯を利用する、第一次と第二次の担い手だったということができるであろう。
彼らは揃って統制経済による人民団結の神話を信奉し、反資本主義が善であること信じて疑わなかった。
だが彼らの運動はどのような評価をもたらしただろうか。
今日では誰もが知るように、資本主義社会の向こう側にあったものは、神聖国家のユートピアでもなければ、歴史的必然の体制でもなかった。
結局彼らはアジアを知るものではなかったため、その末路は、前者では前近代に殴り込みをかけた侵略者であり、後者では独裁体制に奉仕する売国奴でしかなかった。
そして両者ともに、大戦時と冷戦時に祖国を危殆に瀕せしめる立役者となったのである。
(後略)⇒参照・引用元:『新しい神の国』著:古田博司,ちくま新書684,筑摩書房,2007年10月10日 第1刷発行,pp215-216
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による/以下同
「東アジアの連帯を説く者」が東アジアについて知っているわけではないという強烈な指摘です。
その結果どうなったよ?――という点も舌鋒鋭いです。
そもそも東アジアの中で日本は全く隔絶した文明を持っているのだから、連帯など無理なんだ、しなくてもいいんだ――というのが以下です。
また長くなるのですが引用します。
(前略)
筆者にいわせれば、右のアジア主義者も左のアジア主義者もどちらもやりにくい。両者とも東アジアの実像から限りなく逸れていくからである。
実像をしっかと見れば、日本と東アジアはまったく別の文明圏と言うしかない。
日本は東アジア諸国からやってきた儒教を骨抜きにし、道学先生を笑い飛ばし、科挙試験や学閥政治などの硬直した体制を受け入れず、合議制で独裁者の発生を許さず、不気味な宦官制度や、宮刑や凌遅之刑などの肉刑からは自然に目を背けた。
そのような文明圏であり、何よりも東アジア諸国の社会構造の核である宗族を知らない。
それが、中国・韓国・北朝鮮と同じ歴史的個性を有するはずがないではないか。
一つ二つ異なるというのとはわけが違うのである。
しかしそのような日本文明圏が、西洋からやって来た思想や文物をも同様の地平で漂白してしまうことを本書では述べたのである。
それは、キリスト教の処女懐胎や復活などハナから嘘だと馬鹿にし、キリスト教徒は人口の一パーセントもおらず、厳格なる法の支配など喧嘩両成敗や和イズムで緩和し、合議制の全員一致も民主主義の多数決の原則と併存して活性化をやめず、個人主義文学は漱石・鴎外で早々と終わりを告げ、天使とか悪魔とか態とらしいものなんか大嫌いという文明圏である。
(中略)
日本は脱亜も入欧もする必要はないのであり、既に当初から脱亜していたし、入欧の目的はすでに完結した。
個人主義教育などという無駄はもうやめ、武士道なんぞという狭い道徳は自分の家だけでやっていただき、感謝・尊敬・愛情くらいは子供に教え、人権の尊厳を大切にし、非人権国家から拉致被害者たちを絶対に奪還する。
そのような文明圏の定位に筆者自身が誇りを持ちたくて、この本を書いた。
(後略)⇒参照・引用元:『新しい神の国』著:古田博司,ちくま新書684,筑摩書房,2007年10月10日 第1刷発行,pp219-220
これは古田先生の『新しい神の国』という本の「あとがき」から引いたものですが、非常に説得力を持って読者の胸に迫る指摘です。
日本はもともと脱亜な独自の文明圏で、根本部分で東アジアの国々とは違います。それが認識できていれば、「東アジアと連帯」などと安易に言わないはずです。
また、そのような実現不可能な妄想さえ抱かなければ、いらざる失望も味わわずに済むのです。
(吉田ハンチング@dcp)