韓国では「『PPPベースの1人当たりGDP』が日本を抜いた」と誇らしげに語られることがあります。
先にご紹介したとおり、韓国『全国経済人連合会』のリポートでも、日本を抜いた経済指標として、
国家競争力、PPPベース1人当たりGDP、製造業の競争力
と挙げています。
しかし、この「PPPベースの」という点に「なにそれ?」と思われないでしょうか。
結論からいえば、「そんなもので日本と韓国を比較しても仕方ないのでは?」という話なのです。
「PPP」とは?
PPPとは、「purchasing power parity」の略で購買力平価と訳されます。
恐らくネット検索して調べてもナニを言っているのかよく分からない説明が出てくるでしょう。
PPPベースまたPPPベースGDPについては、経済評論家の三橋貴明先生がその著作内で分かりやすく説明していらっしゃいます。
三橋先生の解説の方が読者の皆さまにも腑に落ちるでしょうから、長くて大変恐縮ですが、それを以下に引用します。
(前略)
ところで、そもそも購買力平価ベースのGDPとは何なのか?それは「同じモノ・サービス」ならば「同じ価格」で買われる「はず」という前提(一物一価の法則)をベースに、各国の購買力を測り、「計算」をして出したGDPである。
そのため、サービス業などに従事する労働者の賃金が安い発展途上国では、購買力が上がり(=購買力平価ベースGDPが上がり)、逆にサービス業の労働者の賃金が高い先進国では、購買力が下がる(=購買力平価ベースGDPが下がる)という傾向になる。要は、貧乏人が多く、安い賃金でこき使われるサービス業従事者が多ければ、その国の購買力は上がる、という意味だ。
具体例を出してみよう。
ある国の市場為替ベースのGDPが1兆ドルだとする。その国のタクシーの初乗りが65円で、これをベースに購買力が計算される。さて、日本の市場為替ベースのGDPが4.5兆ドルで、タクシーの初乗りが650円だとしよう。
この場合、ある国の購買力平価ベースのGDPは10兆ドルで、日本の倍以上になる。なぜならば、タクシーの初乗り料金、つまり同じサービスに対する購買力が、日本の10倍以上あるからである。
こんな「計算」で出したGDPで、各国を比較することに本当に意味があるのだろうか?
そもそも、この「ある国」のタクシーと、日本のタクシーのサービスの価値は、本当に同一なのだろうか?
同一だと言うのならば、一体どのようなロジックを駆使して、それを判断しているのだろうか?
(中略)
要は、交換レートとして「為替」が存在する現代の世界において、交換不可能な「購買力」とやらで、各国の経済を比較する意味が、本当にあるのだろうか、ということである。
「その国」の経済力を見るだけなのであれば、意味がないとはいえないが、各国の経済力を比較する際に購買力を使用するのは、明らかにナンセンスである。
さらにもう1つ。
発展途上国が成長し、サービス業に従事する労働者の賃金が上がってくると、購買力が落ち始め、やがて購買力平価ベースのGDPを市場為替ベースのGDPが逆転する。つまり、購買力平価ベースGDPが市場為替ベースGDPよりも大きいことが、発展途上国の証で、購買力平価ベースGDPが市場為替ベースGDPよりも小さいことが、先進国の証なのである。
その証拠に、アメリカも日本もイギリスもフランスもドイツも北欧も、先進国と言われている国の全ては、購買力平価ベースGDPよりも市場為替ベースGDPの方が大きい。
ちなみに中国や韓国の場合、購買力平価ベースGDPの方が市場為替ベースGDPを上回っているので、両国共に立派な発展途上国であることが分かる。
(後略)⇒引用元:『本当はヤバイ!韓国経済 迫り来る通貨危機再来の恐怖』三橋貴明,彩図社,2007年07月03日初版,pp236-238
※赤アンダーライン、強調文字は筆者による
つまり、購買力平価GDP(PPPベースGDP)は、発展途上国の方が大きくなる傾向があり、市場為替ベースGDPがあるのに、なぜわざわざそんなものを国際間の比較に使用する必要があるのか?なのです。
意地悪い見方をすれば、韓国はわざわざ自国のGDPが大きく出るPPPベースGDPを用い、それを1人当たりにすれば日本より数字が大きくなる――だからそれを用いているのだ、ともいえるのです。
市場為替ベースのGDPは、韓国『全国経済人連合会』がそのリポートで引いているとおり、以下のように3.1倍もの開きがあります。
韓国は確かに大きな経済発展を遂げ、2020年にはその名目GDPは世界10位まで来ました。これは立派なものです。しかし、まだ日本には及びません。だからといって「?」なPPPベースGDPを用い、1人当たりを計算して日本を追い抜いたと主張するのはいかがなものでしょうか。
(吉田ハンチング@dcp)