日曜日ですので読み物的記事を一つ。
さんざんネタにして申し訳ないのですが、本間九介さんの『朝鮮雑記』(1894年李氏朝鮮末期の朝鮮半島旅行記)から、興味深い指摘をご紹介します。
以下に引きます。
征韓の役によって、わが兵(豊臣秀吉の兵)の掠奪や乱暴が及ばないところはなかった。八道(朝鮮全土)のほとんどが、焼土(焦土)と化した。
その間、ただ一つ、韓に与えた利は、稲苗を植えかえること、つまり、挿秧(田植え)の技術を教えたことであろう。かの国では、今なお、その方法によって、万民が利を得ている。
それ以前は、籾種をじかに水田に播いたまま、秋の収穫があるのを待っていたのである。これは、あたかも、守株の故事にあるとおり、兎を得ようとする愚者と同じである。
⇒参照・引用元:『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』著:本間九介,クリストファー・W・A・スピルマン監修・解説,平成28年02月05日初版第1刷発行,祥伝社,pp101
※ルビは原文ママ/強調文字、赤アンダーラインなどは引用者による
本間九介さんによれば、それまで朝鮮半島では田植えはなく、籾種を直まきして稲を育てていたことになります。これが本当なら、稲の苗を育てて、それを水田に植えるという技術は日本から朝鮮半島に伝播したことになります。
(吉田ハンチング@dcp)