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韓国・白善燁将軍が「親日派」レッテルを外れる。

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韓国では「親日派」という言葉は「国賊」とほぼ同義で使われます。

この一点だけとっても韓国が世界一の反日国家であり、日本は韓国を決して甘やかしてはいけないことが分かります。

親日派と認定されたら、いかに地位の高い、名声のある人でも韓国では生きていけなくなります。歴史的な人物でも同じで、墓が掘り返されたり、子孫が糾弾されたりします。

朝鮮戦争の英雄として知られる白善燁将軍も盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代に親日派認定されて、冷遇の憂き目に遭います。

日本の朝鮮半島併合時代に日本に協力したからというのです。

朝鮮戦争でもし白善燁(ペク・ソンヨプ)将軍がいなかったら、一体いかなることになったのかも想像できないバカとしかいいようのない行為でした。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)の同志で相棒でもあった文在寅が大統領となった後も、救国の英雄に対する扱いは変わりませんでした。バカの二乗です。

白善燁将軍が亡くなったら「国立ソウル顕忠院」に埋葬する予定だったところを、愚かな文政権は「国立大田顕忠院に埋葬」と変更。

生前に「死んでいった戦友たちと共にありたい」と、死に当たっては戦闘服を着せてほしいと希望していた白善燁将軍は、その思いどおりの死装束で埋葬されました。棺には多富洞など8つの激戦地の土も一緒に入れられました。

しかし、尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領になってから、朝鮮戦争時に活躍した白善燁将軍の名誉が回復される方向で動きました。

2022年12月24日にすったもんだの挙げ句に通過した2023年の予算には、白善燁(ペク・ソンヨプ)将軍の銅像建設費(1億5,000万ウォン)が含まれており、2023年07月05日、この銅像の除幕式が開かれました。

銅像は漆谷郡多富洞に建てられました。ここは釜山橋頭堡を守るための激戦となった地です。

また、2023年07月24日、韓国の国家報勲部は国立顕忠院ホームページにおいて、白善燁将軍についての情報から「親日反民族行為者(親日派)」という文言を外しました。

これは、02月に白善燁将軍の遺族が文言削除を要請する嘆願書を提出したことに応えて行ったものですが、調査してみるといかなる経緯で、またいかなる法によってこのような文言が付加されたのか全く不明だったとのこと。いかにも韓国らしい話です。

国家報勲部のパク・ミンシク長官は「今後も法的根拠なしに国立墓地の設置目的に合わない事項を任意に記載することがないように万全を期し、安葬者の名誉を守っていくことで、国家が最後まで責任を負う一流の報恩を実現する」と述べています。

しかし、親日派レッテル貼りはこれからも続くでしょう。親日が国賊ではなく、単に「日本と親しい」「日本に親しむ」ことを意味する日が来ない限りは。

果たしてそんな日が来るのかどうかも疑問です。

「親日派」を「日本と親しい」という字義どおりに捉えるのであれば、白善燁将軍は親日な方でした。「よど号」事件の解決に日本に協力してくれたのも白善燁将軍ですし、その縁でもってソウルの地下鉄建設に尽力されました。韓国の人はすっかり忘れていますが、ソウルの地下鉄は、白善燁将軍が自著で書かれているとおり、

(前略)
「せっかくのお言葉ですから、勝手なお願いをさせてください。ソウルの交通混雑を解消するため、地下鉄の建設を考えています。

ぜひ地下鉄をつくる手助けをしてください。われわれは経験不足です。すばらしい日本の技術を見せてください」

私は厚かましくお願いした。
(後略)

⇒参照・引用元:『若き将軍の朝鮮戦争 白善燁回顧録』著:白善燁,草思社,2000年05月30日発行,pp430-431

と橋本登美三郎運輸大臣(当時)に依頼し、それが実現したものです。

橋本大臣は、白善燁将軍からの頼みに応えました。きちんと「鉄建公団の角本良平氏を団長とする調査団をソウルに派遣した」のです。また、日本は協力を惜しみませんでした。

こうしてソウル地下鉄1号線は1974年(昭和49年)に完成します。

08月15日、光復節に開通式が行われる予定でした。ところが、この日に大統領夫人である陸英修さんが、在日韓国人・文世光に狙撃されて亡くなるという悲劇が起こります。この事件のせいで朴正煕(パク・チョンヒ)大統領立席の開通式は行われませんでした。

(吉田ハンチング@dcp)

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