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中国「朝鮮戦争」参戦日を猛烈アピール! スターリンが見捨て、金日成は半狂乱で中国の援軍を待った

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ここにきてにわかに中国では「抗米援朝」(アメリカ合衆国に対抗して北朝鮮を支援する)という言葉を「何回言うねん」というぐらい連呼されています。

中国は10月25日を「朝鮮戦争参戦記念日」として2020年には盛大に世界にアピールする態度を見せているからです。

これは、鴨緑江まで迫っていたアメリカ合衆国軍を38度線まで再び押し戻したという実績を誇り、合衆国軍など恐るるに足りないと言いたいからです。

『中国人民志願軍抗米援朝作戦70周年記念大会』では習近平総書記がなんと中国指導者としては20年ぶりに演説を行いました。合衆国との対立が深まっているので「抗米」を猛烈にアピールしたわけです。

中国参戦までの経緯 ~まず北朝鮮の奇襲南進で開始~

中国軍が参戦するまでには以下のような経緯がありました。

※ただし、そもそも北朝鮮の戦争準備段階で中国は朝鮮系中国人部隊を送っていますので最初から参戦していたようなものなのです

朝鮮戦争は1950年06月25日払暁、38度線の全線に渡って北朝鮮軍の7個師団が奇襲攻撃を開始したことによって始まりました。完全に不意をつかれた韓国軍、およびアメリカ合衆国軍は総崩れとなり、以降戦線は南に押し下げられ、釜山橋頭堡のみが残るという危険な状態となります。

しかし、合衆国軍を主力とする国連軍は釜山橋頭堡を頑強に死守。

仁川上陸作戦を成功させて北朝鮮軍の補給路を断つことで形勢を逆転します。北上を開始した合衆国軍はソウルを奪還、38度線を越えて攻め上り、平壌も陥落させます。

参戦の電報が届いたのは10月18日

己の野望で戦争を始めたものの、自分の生死にもかかわるほど情勢は急迫し、金日成はもはや中国しか頼ることはできませんでした。

金日成に戦争開始の承認を行ったソ連スターリンは戦況を見て金日成を見限ったからです。

ほうっておけ金日成には中国に亡命政権をつくらせろ。われわれは新しい支配者とうまくやるさ」
こう語ったと『フルシチョフ回顧録には記されている。

⇒参照・引用元:『金日成とマッカーサーの陰謀 朝鮮戦争』萩原遼(文春文庫,1997年)p.355

赤アンダーライン、強調文字は筆者による(以下同)

このとき金日成は半狂乱で取り乱していたことが分かっています。その金日成の姿の貴重な目撃証言は中国の柴成文さんの回顧録『板門店裁判』にあります。

これを伝えられたのは、柴成文さんが平壌にあった中国大使館の参事官だったためです。10月08日、倪志亮大使と共に、牡丹峰をくり抜いて造られた地下指揮所を訪れ、北京からの電報を届けたのです。

これこそ「中国の参戦を告げる」電報でした。

金日成は大喜びしますが……中国軍は動きませんでした。10月12日には「08日の電報の出兵を取り消す」という連絡が北京から届きます。焦燥の金日成は中国に出兵を要請しますが中国軍はそれでも動きませんでした。

これで金日成の命運が尽きれば、現在に続く北朝鮮はなかったでしょう。

ところが、10月18日になって「明日19日晩、安東、帽安一線から明晩鴨緑江を渡河する」という電報が届くのです。

このようにして中国は人員のべ300万人をつぎ込むことになる朝鮮戦争に参加しました。

中国軍の損害は「50万人」と推計される

人数で圧倒するという『スターシップ・トゥル-パー』のバグを思わせるような中国軍の戦いぶりは確かに合衆国軍を再び38度線まで押し下げる力がありました。しかし、その分損耗率も高く「50万人」が死亡したと推計されています(諸説あります)。

中国はこのような無茶な戦術を二度と取れないでしょう。「抗米」をアピールするのはいいですが、戦争を起こすのはやめていただきたいものです。

朝鮮戦争に参戦したのは建前上「中国志願軍」ということになっています。

(柏ケミカル@dcp)

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