「日韓関係が最悪な状況となっている」などといわれますが、果たしてそうでしょうか。
韓国の皆さんの中にも「日韓断行だ」と叫ぶ人もいっらしゃるようで、それなら「それもやむなし」と考えた方がいいのかもしれません。日本と全面禁輸になれば、困窮するのは韓国の方でしょうから。
実は、戦後すぐの話なのですが、韓国は「日本との全面禁輸」に踏み切ったことがあります
しかも三度もです。
つまり、日本との輸出入を一切止めたのです。
さてどうなったでしょうか。その顛末をご紹介します。
全く政治的な理由で経済を完全無視した禁輸の結果……
韓国の初代大統領、李承晩(イ・スンマン)さんの時代、1955年07月、韓国政府は「対日交易の全面的な中断」を宣言します。
これは、日韓の国交正常化問題についての交渉において、1953年10月にいわゆる「久保田発言」に怒った韓国政府が交渉の席を蹴って退席、それに対する処置でした。
久保田発言というのは、交渉に当たっていた久保田貫一郎さんが、韓国の交渉団に対して行った発言です。
「(日本の)朝鮮総督政治は決して朝鮮の民衆を利したものではない、日本が警察政治で以て韓国民を圧迫して、そうして搾取したのだし、それから自然資源なんかも枯渇せしめた」と言い募る韓国の交渉団に、久保田首席代表は、「朝鮮36年間の統治は、あなたがたの言われるような悪い部面もあつたかも知れないけれども、いい面もあつた」という旨の、日本としては極めてまっとうな回答をしました。
ところが、韓国の交渉団は妄言だと激昂し、退席。
1955年07月の対日交易の全面禁止宣言に至ります。
これがどうなったかというと、わずか10日で覆りました。
なぜかというと、韓国の貿易における日本のシェアは「輸出:30%台」「輸入:40%台」もあったからです。
対する日本の貿易における韓国のシェアは「輸出:2%」「輸入:0.5%」しかありませんでした。
これで全面交易禁止などすれば、韓国の方が打撃を受けるに決まっています。韓国はわずか10日で音を上げました。
しかし、めげない韓国政府は1955年08月、また全面的な対日禁輸措置に踏み切ります。
理由は、日本が中国との交易協定を締結したことです。時の李承晩(イ・スンマン)大統領は反共一辺倒な人物で「自由友邦である韓国を無視した措置である」としました。
日韓基本条約締結の前ですので、韓国を無視して共産主義国家と交易の協定を結ぶとは何事か、というわけでした。しかし、友邦国であるかどうかは今から振り返ってみても極めてあやしい、といわざるを得ません。
しかし、これも効果はありませんでした。
懲りない韓国は、1959年06月に三度目の対日禁輸措置を行います。
理由は、日本政府が在日朝鮮人の皆さんの帰還事業を始めたことでした。反共、反北朝鮮の李承晩(イ・スンマン)大統領の許せることではなかったのです。
しかし、やっぱりこの禁輸措置も日本にはなんの効果もありませんでした。それどころか、韓国経済に大打撃を与えたのです。
考えてもみてください。全輸出の30%ほどが日本向けなのに、それが止まったらどうなるでしょう。また、日本から資本財、中間財などを入れないと回らないのに、それが突然止まったらどうなるでしょうか。
結局、この三度の禁輸措置は韓国の大失敗に終わったのです。
李大根先生は以下のように指摘していらっしゃいます。
(前略)
一九五〇年代、韓国は外交上の相互主義の原則を無視し、日本との正常な外交関係が成立する前であったにもかかわらず、外交的慣行に反する行為を日本に対して頻繁に取っていたことである。換言すれば、米国(連合軍総司令部)側に助けられて、韓国は外交的にも経済的にも日本から一方的に特恵を受けていた。
(後略)⇒参照・引用元:『帰属財産研究 韓国に埋もれた「日本資産」の真実』著:李大根、訳:金光英美、監訳者:黒田勝弘,文藝春秋,2021年10月10日 第1刷発行,p.464
いかがでしょうか。1950年代からこのような状態だったのです。日韓関係は今が最悪でしょうか?
李先生が指摘していらっしゃる「韓国は外交上の相互主義の原則を無視し……外交的慣行に反する行為を日本に対して頻繁に取っていた」は、今もそうです。
そのような国と仲良くすることに意味はあるのでしょうか。さらにいえば、仲良くすることが可能なのでしょうか。相手は「外交的慣行に準ずる行為ができない国」なのですから。
また、この過去の事例は現在の日本に大きな教訓を与えてくれます。韓国が理にかなわないことを述べてきても、淡々と法と事実に基づいて対処すればいいのです。泣きついてくるまで放置するに如くはなし――であります。
(柏ケミカル@dcp)