米国「フレイザーリポート」によれば……。統一教会はなぜ韓国中枢部とコネクションができたのか

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アメリカ合衆国下院国際関係委員会が1945~1978年の米韓関係を調査した公式な報告書があります。フレイザーリポート(Fraser Report)と呼ばれる文書です。

この文書で、興味深い事実が多く明らかになっています。

例えば、『統一教会』と情報機関、また韓国政府との関係です。『統一教会』は政治と深く結び付くようになりますが、これは一体なぜだったのでしょうか。

1955年07月04日に文鮮明さんは韓国で逮捕されています。邪教という評判が広がり警察の取り調べを受けたのですが、10月04日に釈放されました。

この間に韓国政府(あるいは軍関係中枢)となんらかの政治的取引があったと思われるのです。

というのは、文鮮明さんの釈放後、非常に不可解なことに『統一教会』には韓国軍の若手将校が次々と入会しているからです。フレイザーリポートは以下の4人を挙げています。

・朴普煕
・韓相国
・金相仁
・ハン・サンギル

朴普煕さんは後にアメリカの統一教会の最高責任者になる人ですが、元陸軍の諜報畑にいた人です。フレイザーリポートは次のように書いています。

「1950年代末に、4人の英語を話す韓国陸軍の青年将校が文鮮明のお告げを好意的に受け入れた。後にこれらの将校は全て1961年以降の韓国政府との重要なコネクションを提供することになる

「1950年台末以降の文の支持者の一人韓相国は、1961年のクーデターの首謀者でKCIAの創立者である金鍾泌(キム・ジョンピル)の個人的な補佐となった。

金相仁は、1961年05月に韓国陸軍を退職し、KCIAに加わり、金鍾泌(キム・ジョンピル)の通訳となった。彼は1966年に至るまで、引き続いて金鍾泌(キム・ジョンピル)の親しい個人的な側近であった。

1966年には彼はKCIA職員の地位に復帰し、その後メキシコシティのKCIA支局長となった。彼は朴普煕の親友で、統一教会の支持者であった。

四人目のハン・サンキルは、1960年代末にはワシントンの韓国大使館付き武官であった。行政府の諸報告はまた、彼をKCIAと結びつけている」

1961年05月には朴正煕(パク・チョンヒ)さんによるクーデターが起こります。このクーデターによって韓国には反共産主義(反共)の軍事政権が誕生しました。

文鮮明さんの有用性に目をつけたのは恐らくKCIA(韓国中央情報部)の前身であったCIC(陸軍保安司令部)と目されます。1961年06月にはCICの中枢メンバーが中心となってKCIAが誕生するのです。

KCIAの初代長官が金鍾泌(キム・ジョンピル)さんで、上掲の4人全員がKCIAとコネクションを持っていたのです。

KCIAは、朴正煕(パク・チョンヒ)政権を陰に陽に支えた組織ですが、結果、統一教会は韓国政府との太いコネクションを持つことになったのです。東西冷戦の最前線の一つであった韓国ですので、反共を唱える文鮮明さんは利用しがいがあったと考えられます。

『統一教会』は宗教団体ではありますが、その教義に関係なく、反共姿勢であればと協力関係を結ぶ、あるいは利用した集団があったのです。それは韓国だけではなく、日本でもです。

日本へ『統一教会』を持ち込んだのは崔翔翊(日本名:西川勝)さんという人ですが、この人は日本に密航し、捕まりますが脱走。

この人物の身元引受人は誰だったでしょうか。笹川良一さんです。つまり、反共という線で韓国と日本が結びつき、その接着剤的な役割を統一教会が果たしたといえます。

ソ連が崩壊し、共産主義は一応「アカンかったね」となりましたが、反共のために結びついた集団、その残滓が今も残っているというわけです。

(吉田ハンチング@dcp)

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