韓国の政治家にとって「親日」というレッテルを貼られることは大きなマイナス評価になります。そのため、政敵の足を引っ張るためには「あの人は親日家」「あの政治集団は親日」と指摘するのがよいということになります。
韓国では大統領が替わるたびに親日清算の声が高まったりしますが、これは実は初代大統領である李承晩(イ・スンマン)さん以来の伝統です。
李承晩(イ・スンマン)さんはアメリカ合衆国で独立運動を指導していた人ですが、日本の敗戦によって帰国。中国で独立運動を行っていたグループとの政争に勝ち、大統領になりました。
李承晩(イ・スンマン)大統領は強力な反共主義者であり、また「日本からの独立」運動家でしたので当然反日の考えの持ち主でした。そのため、日本の統治機構に協力した人物を排斥しようとしました。
いわゆる「親日清算」です。
独立※間もない1948年09月、韓国国会は「反民族行為者処罰特別法」を制定し、年末には「反民特別委員会」を設立。1949年からこの法律に基づいて「親日派」とする人を続々と逮捕しました。
※大韓民国政府樹立宣言は1948年08月15日。
「親日清算」を貫徹できなかった初代大統領
しかし、李承晩(イ・スンマン)大統領は親日清算を叫んだものの徹底はできませんでした。掛け声倒れに終わったのです。
理由は簡単で、日本の統治に協力していた人物なしには南朝鮮を統治できなかったからです。
1945年08月15日に大日本帝国が連合国に無条件降伏し、朝鮮の統治から手を引くことになりましたが、それまでは日本の統治機構の下にありました。
当然のことながら日本の統治機構に関わったテクノクラートばかりだったわけです。日本の統治に協力したことのない人、すなわち統治機構に関してずぶの素人に政府や経済、治安維持や軍事の運営などできるわけがありません。
前記の法律の下に現職警察官まで逮捕されるという事態にまで発展し、頭にきた警察が「反民委員会」本部に踏み込んでスタッフ全員を逮捕するという椿事まで起こりました。この事件では、慌てて現場に駆けつけた検察総長を警察が武装解除するという「ナニやってんだ」なことまで起こっています。
日本の統治機構に関わったかもしれませんが、新しい南朝鮮を建設しようとしていた官僚・公務員からは、当然ながら猛烈な反発が上がり、李承晩(イ・スンマン)大統領が乗り出した親日派の粛正は政争になりました。
国会も紛糾。結局「親日清算」の動きはグダグダになりました。「反民族行為者処罰特別法」の控訴期限は1年間に短縮。この法改正に反対して「反民特別委員会」の委員は全員が辞職。
しかし、その1年で305人を逮捕し、221人を起訴しています。
ただし有罪判決を下されたのはわずか「12人」。いかにこの親日派粛正がぐだぐだなものだったのかが分かります。
――というわけで、韓国の親日清算は初代大統領からの伝統です。李承晩(イ・スンマン)大統領以降も、大統領が替わるたびに同じような動きが繰り返されて、それは現在にまで至っているのです。
(吉田ハンチング@dcp)