日本は法治国家です。その2

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読者の方から萩原遼先生について質問が来たのでご紹介します。

萩原先生は1937年高知県生まれ。1967年、大坂外国語大学朝鮮語科卒です。北朝鮮についての専門家で、もともともは日本共産党員で『赤旗』の記者を勤めていらっしゃいました。

北朝鮮の首都・平壌に赤旗特派員として赴き、実際に現地で暮らしたこともあります。このとき北朝鮮がいかに異常な国であるのかを体験しました。

何より、萩原先生が北朝鮮に不信感を抱いたのは、日本から北朝鮮に向かった(帰国した)友人に会わせてはもらえず、ついに彼がどうなったのか不明だったことです。その友人については先生の『北朝鮮に消えた友と私の物語』に書かれています。

金竜南という人で、密航して日本に入り、東京・新宿に暮らしていたお父さんと再会。金竜南さんは1959年03月に専修大学経済学部に受験して合格するのですが、密航者なので国籍はありません。どうやって受験したかというと「5,000円(今のお金で10万円くらいと書いていらしゃいます)」で日本国籍を「購入」したのです。

むろん違法です。

その金竜南さんが北朝鮮に帰国した後、消息を断ったのです。平壌を訪問した萩原先生は友人を探したのですが、結局北朝鮮当局から何の情報も得られず、行方不明となりました。

その後、萩原先生は日本共産党から除籍され、朝鮮戦争について調査するためにアメリカ合衆国に。公文書館で米軍が北朝鮮から奪取した文書を調査、約160万ページに及ぶその全てに目を通して書き上げたのが『金日成とマッカーサーの陰謀 朝鮮戦争』です。


↑『金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く』(文庫版)

金日成の急死は金正日によるものではないのか――という疑義を呈した『金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く』(2004年,文藝春秋)も非常に興味深い内容です。


↑『淫教のメシア文鮮明伝』。

萩原先生には、統一教会の内部についてリポートした『淫教のメシア文鮮明伝』(1991年, ‎晩声社)という著作もあります。ぜひ機会があったら皆さんも読んでみてください。

――で、北朝鮮問題の専門家として、朝鮮高級学校で使われている歴史教科書の翻訳に取り組みます。この翻訳後に、井沢元彦先生と対談を行って本になったのが『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』(2011年,祥伝社)です。

先にご紹介した部分以外にも、以下のような記述があります。

(前略)
萩原 実は一九九八年(平成十年)に、在日の父母のある方々が「朝鮮学校教育の抜本的改善を求める総連への要望書」というものを出しているのです。

井沢 同胞の人が出しているわけですか。

萩原 その中の一節に、いま井沢さんがおっしゃったように、「二重人格をつくるのは子どもたちがあまりにもかわいそうだ」と書いてあります。

先生の前では直立不動で教科書の通りに答え、一歩外に出たら日本社会の常識に従う。教科書では朝鮮戦争のことなど嘘ばかりを教えられ、実は何が真実かということも知っている。そういう二重基準、ダブル・スタンダードを子どもに強要するのはかわいそうではないか、と。

井沢 まさにおっしゃるとおりです。

萩原 父兄が「もうこんなことはやめよう、事実はありのままに教えようではないか」と、提言しているのです。これは当然だと私は思いますね。

井沢 こういうことも知らないで、こんな教科書を使っている学校の学費をタダにしようと言っているわけですから、とんでもないですよね。

萩原 とんでもないことですね。

井沢 子どもたちも犠牲者ですね。

萩原 在日の父母たちが私たちにひそかに言ってくるのは、「日本の先生方、頑張って朝鮮学校を早く潰してくれ」ということです。

井沢 でも自分の親類縁者が人質にとられているから、表立っては言えない。

萩原 北朝鮮にいる人質が「朝鮮学校に行かせろ」と言っても、学校自体がなくなってしまえば、もう行かせるわけにはいかないから、親は大助かりするわけです。

井沢 朝鮮学校に「行かせたくても行かせられません」と言えるわけですね。

萩原 行かせたいのは山々だけれど潰れてしまったから、日本学校に行かせるしかない。これは立派な口実でしょう。どの親も、いまは教育ママ、教育パパですよ。昔から朝鮮系の人は教育熱心なのです。

朝鮮学校に行かせながら、夜は塾に行かせているのです。それで「大学は日本の大学に入れ。それで公認会計士とか弁理士とか、何とか国家試験を通れ」と子どもの尻を叩くのです。

そうしたら生活が安定することを身にしみてわかっているし、差別も跳ね返せる。

そういう思いがあるから「先生方、われわれも大したことはできませんが」と言って、私たちの運動に、わずかですがカンパをくれる在日の父母もいるのです。本当に涙が出ますよ。
(後略)

⇒参照・引用元:『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』(萩原遼・井沢元彦,祥伝社新書,2011年11月10日初版)pp.60-62
2011年に刊行されたものである点に注意してください。

悪夢のような民主党政権の時代に、高校の授業料無償化が打ち出されました。このとき、萩原先生は先頭に立って、朝鮮高級学校(朝鮮高校)の「歴史教科書」を日本語に翻訳して出版するという事業を行ったのです。その後、中級学校(朝鮮中学)の「歴史教科書」の訳出も行いました。

なぜ、そんな大変なことを行ったかというと、萩原先生は以下のように語っていらっしゃいます。

「(前略)そこへ無償化という話になり、朝鮮学校は除外すべきだという議論が起きたとき、一般紙は、産経を除いていっせいに朝鮮高級学校を無償化の対象から外すべきではないと、社説で書いた。

私は非常に怒りを感じました。この社説を書いている人間が教科書を読んでいるのかといったら、読んでいないでしょう。

(中略)

こうなったら、日本人に教科書を読ませるしかない。読めば、さすがに先ほどの論説子にしても、自説の誤りに気がつくだろう。そう思って翻訳を思い立ちました。そうと決めてからは仲間を募って、一週間でやり遂げました(後略)」

萩原先生は、亡くなるまで北朝鮮による日本人拉致について取り組まれました。その過程で集会を邪魔されるなど妨害を受けたこともしばしば。それでも萩原先生は負けずに自身の活動を続けられました。

しかし、萩原先生の「日本人拉致被害者を取り返さなければ」という思いは、先生の死後もまだ達成されてはいません。

(吉田ハンチング@dcp)

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