今回は、SF小説をご紹介します。フィクションには現実を仮託して書かれたものがあります。
御大の絶筆となった『帝国宇宙軍1 -領宙侵犯-』という作品ですが、まず以下をお読みください。小説の一部を引用します。
(前略)
(世論は最悪。そして執政府はいつものように市民へおもねった)
HULにおけるいつものパターンだ。人々は簡単に激昂し、冷静さを失ってしまう。
国家としての成り立ちそのものを心密かに羨望している銀河帝国がらみだとことにそうだ。
そして執政府は……内部に“それではいけない”とおもっている者たちがどれほどいても市民たちを抑えられない。なにがしかの強行措置をとることになる。
過去におけるそれは、ケイロンを除けば国内対策レベルでなんとかなってきた。
具体的には……HULの歴代執政官たちは、なにか国内で問題が起こるたびに『帝国が悪い』ということにしてきたのである。
直接的でなくてもいいのだ。どこかで帝国と結びつきを作り出すことができれば、あとは市民達が勝手に盛り上がってくれる。そして本来ならば冷静になって対処すべき問題をまとまりのない熱気によってうやむやにしてきた。
しかし今回は違う。
航宙艦による発砲があり、その結果として人が死んでいる。むろんそれはすべてHULが引き起こしたものであり、罪悪感を覚えて然るべきものなのだが、市民たちはそうは受け取らなかった。
誤射を生じさせた『原因』は帝国のケイロン侵入にあるのだから、自分たちにそのような罪悪感を覚えさせた帝国が悪い、となったのである。
むろん、ケイロンがHUL領宙であるという主張そのものが事実上の侵略によって成立したものだという過去など顧みられることなどない。
ただし教育などに制約が設けられていたわけではない。“事実”を教えること、ひろめることが個人の自由であるのはHULも同じだ。
しかし、市民たちがそれを受け入れない。
歴代執政府がエクスキューズとして用いてきた『なにもかも帝国が悪い』という麻薬に中毒してしまい、その影響から抜けるのに耐えられなくなってしまったからである。
事実を唱えたものは社会的批判を受け、ときには命を狙われ、あるいは追放の憂き目を見ている。そしてとうとう、事実について語る者は絶無に近くなり、市民の望むストーリーだけが大手を振った。
こうなっては執政府内部に冷静な者が何人いてもまともな対応はできない。
なぜなら、HULは民主主義政体であり、おおもとにおいて市民へ逆らうことなどできないからだ。
(後略)⇒参照・引用元:『帝国宇宙軍1 -領宙侵犯-』著:佐藤大輔,早川書房,2017年04月25日 発行,pp152-154
これをHULを韓国、銀河帝国を日本に置換してみましょう。ケイロンという架空の宙域は……まあ頭の中で「竹島」にでも置換してみてください。
(前略)
(世論は最悪。そして執政府はいつものように市民へおもねった)
韓国におけるいつものパターンだ。人々は簡単に激昂し、冷静さを失ってしまう。
国家としての成り立ちそのものを心密かに羨望している日本がらみだとことにそうだ。
そして執政府は……内部に“それではいけない”とおもっている者たちがどれほどいても市民たちを抑えられない。なにがしかの強行措置をとることになる。
過去におけるそれは、ケイロンを除けば国内対策レベルでなんとかなってきた。
具体的には……韓国の歴代執政官たちは、なにか国内で問題が起こるたびに『日本が悪い』ということにしてきたのである。
直接的でなくてもいいのだ。どこかで日本と結びつきを作り出すことができれば、あとは市民達が勝手に盛り上がってくれる。そして本来ならば冷静になって対処すべき問題をまとまりのない熱気によってうやむやにしてきた。
しかし今回は違う。
航宙艦による発砲があり、その結果として人が死んでいる。むろんそれはすべて韓国が引き起こしたものであり、罪悪感を覚えて然るべきものなのだが、市民たちはそうは受け取らなかった。
誤射を生じさせた『原因』は日本のケイロン侵入にあるのだから、自分たちにそのような罪悪感を覚えさせた日本が悪い、となったのである。
むろん、ケイロンが韓国領宙であるという主張そのものが事実上の侵略によって成立したものだという過去など顧みられることなどない。
ただし教育などに制約が設けられていたわけではない。“事実”を教えること、ひろめることが個人の自由であるのは韓国も同じだ。
しかし、市民たちがそれを受け入れない。
歴代執政府がエクスキューズとして用いてきた『なにもかも日本が悪い』という麻薬に中毒してしまい、その影響から抜けるのに耐えられなくなってしまったからである。
事実を唱えたものは社会的批判を受け、ときには命を狙われ、あるいは追放の憂き目を見ている。そしてとうとう、事実について語る者は絶無に近くなり、市民の望むストーリーだけが大手を振った。
こうなっては執政府内部に冷静な者が何人いてもまともな対応はできない。
なぜなら、韓国は民主主義政体であり、おおもとにおいて市民へ逆らうことなどできないからだ。
(後略)
韓国という国の異常さ、ばかさ加減、自縄自縛な状況を見事に突いた文章になっているでしょう? 御大は、何より「竹島」こそが根源の問題なのだ――と明確に指摘していらっしゃいます。
韓国自身が侵略して始めたにもかかわらず――です。
本作はSFの体をしていますが、日本と韓国を戯画化して描いたものなのです。
大変残念なことに、この物語は御大が急逝されたので「状況開始」というところで終わってしまいました。
孤立無援でHUL(韓国)艦隊と対峙することになった、銀河帝国(日本)の老朽駆逐艦(レストア済み)が、援軍が到着する4日後まで、いかに戦うのか、いかに持たせるか――という、まさに「これから」だったのですが、御大ファンとしては実に残念な、惜しみきれない幕切れとなってしまいました。
もしご興味があれば、物語の続きはもう永遠に読めませんが手にとってみてください。
佐藤大輔という作家は、最悪の状況の中で「それでも最善の結果を掴み取ろろうと努力する男たちの戦い」を描かせたら世界最高の手腕を発揮する人でした。
軍事に関する圧倒的な知識量と何より「本質を突く洞察力」、「本質を読者に分かるように言語化できる能力」で、他の凡百の作家を寄せ付けない圧倒的な孤峰でした。
その隔絶した能力の高さゆえに、人格的にはネジ曲がった人だったかもしれませんが、非凡な才能というのは本来そういうものです。
いまだに他のどんな作家も御大の足元にすら及びません。
映画監督の押井守さんは「架空戦記というジャンルは、佐藤大輔という作家を世に送り出すために存在したのではないか、そう思えるほどだ」と述べていますが、全くそのとおりです。
新しいシリーズに着手したら、スグに投げ出すという悪い癖を発揮したため、残された「完結した長編」は1作しかありません。
『征途』という物語だけです。
残された読者は、もう御大の手に成る新作を手に取ることができません。
それでもファンは待ち続けるのです。
もしかしたら、自分が死んだら、先に虹の橋を渡ってしまった御大の新作があの世で読むことができるのではないか――と。
ファンにそんな哀れな期待を抱かせる、まさに卓越した才能の持ち主でした。
(吉田ハンチング@dcp)