『Radio Free Asia』が面白い記事を出しています。
中国共産党が「雷鋒に学べ」というキャンペーンを行っているが、全く国民には響かない――という内容なのですが、そりゃそうでしょう。
↑一番雷鋒さん、中央が習近平さん、右が毛沢東さんです。こういう看板になるぐらい「雷鋒に学べ」がプロパガンダとして使われているわけです。
雷鋒なので「関取ですか」と聞きたくなるようなお名前ですが、日本人なら普通は「誰それ?」となるでしょう。中国の皆さんにとっても「今さらそんなこと言われてもなあ……」なのです。
「雷鋒」って誰? なぜ「雷鋒に学べ」といわれるのか?
ひと言でいえば、雷鋒さんというのは中国の共産主義プロパガンダにおける模範的な兵士(解放軍の英雄)として知られる人物です。
彼は「自己犠牲」「勤勉」「党への忠誠」を象徴する存在とされています。
雷鋒さんの生涯は以下のようなものだった――とされています。
苦難の幼少期
1940年、湖南省長沙の貧しい家庭に生まれる。
幼少期に両親を亡くし、地主や国民党に迫害されたとされる。
共産党への忠誠心と努力
1950年代に共産党の指導の下で働きながら学び、1958年に中国人民解放軍に入隊。
党の思想を深く学び、模範的な兵士として活動。軍隊内外で積極的に人助けをし、困っている人々を支援したとされる。
突然の死と「日記」の発見
1962年、事故で死亡(22歳)。工事現場で同僚が運転するトラックに轢かれたとされる。
死後、彼の日記が発見され、そこには「党と人民への献身」が詳細に書かれていた。
この日記というのが――「毛主席と共産党に一生を捧げる」と何度も書いてあった――というわけで、中国共産党にとって非常に都合のよいものだったのです。
話を盛っていないか?という疑念
1963年、毛沢東が「向雷鋒同志学習(雷鋒同志に学ぼう))と指示し、全国的なキャンペーンを展開。
個人主義や資本主義的価値観を批判し、「自己犠牲と集団主義を重んじる社会主義道徳の模範」として宣伝し、文化大革命(1966〜76年)の直前に、党のイデオロギー強化のため利用されました。
鄧小平時代になると経済発展が重視され、人々の価値観が多様化。資本主義的価値観の浸透を防ぐため、「雷鋒精神」を持ち出し、道徳教育の象徴として再活用しました。
簡単にいえば「改革開放後(1980年代〜)の道徳教育」に利用されたわけです。
そして現在も「雷鋒に学べ」は続いています。愛国主義教育、いえ端的に言えば「愛党活動」の一環として利用されています。SNSや学校教育を通じて、若者に「自己犠牲・社会奉仕・党への忠誠」を奨励しているのです。
このようにプロパガンダに今も利用されている雷鋒さんですが、伝記の多くは誇張・捏造された可能性が高いと指摘されています。
「愛党」を推進しないと中国共産党が困る
もう何も怖くないという「無敵の人」が自暴自棄に犯罪を起こすほど社会不安が醸成されるようになっていますので、それを主導した中国共産党に対する反発も強まっています。
「鼓腹撃壌」なんていいますが、食べていられるうち、暮らしていられるうちは、中国共産党の支配にも我慢もできるでしょうが、明日の暮らしが不安になれば、為政者への不満、抵抗が強まって当然です。
「雷鋒に学べ」などというプロパガンダが強まっているのは、なんのことはない、民心が抑えるためです。
『Radio Free Asia』は、
「最近、中国の官営メディアは再び『雷鋒に学ぼう』という宣伝キャンペーンを展開した。しかし、ソーシャルメディアプラットフォーム上の世論は冷ややかな反応を示している。
一部の学者は、雷鋒のイメージは長い間、公式の宣伝手段として形成されており、中国社会全体の道徳レベルを真に向上させることは難しいと指摘している」
と書いています。そりゃそうでしょう。生きるか死ぬかで明日が不安な人にとっては、モラルを説くより「金をくれ」でしょうから。
「欲しがりません勝つまでは」みたいなことを言い出したら、その国はもう末期です。ずーっとそれをやってる北朝鮮という国もありますが、その意味では中国は北朝鮮に似てきたともいえます。
(吉田ハンチング@dcp)