テレビのニュースなどでよく耳にする「インフレーション(インフレ)」という言葉。これは物価が持続的に上がり続ける経済現象のことです。インフレには、度合いを示すインフレ率というものがあり、一般的なインフレはインフレ率が年に1%、つまり物価が年に1%程度上昇していきます。
しかし、中にはそのようなマイルドなインフレではなく、とんでもない物価上昇に見舞われることがあります。それが「ハイパーインフレーション(ハイパーインフレ)」です。国際会計基準によれば「3年間で累積100%の物価上昇」をハイパーインフレと呼びます。
ハイパーインフレが起こるととんでもないことになります。今回は、実際に起こったハイパーインフレを紹介します。
■お札の額が億、兆、京……
●ジンバブエのハイパーインフレ
最近のもので一番有名なのが、2008年にジンバブエで起こったハイパーインフレ。治安の悪化や富裕層や企業が海外に脱出したことなどを発端とし、経済が崩壊しました。当時発表されたインフレ率は年率2億3,100万%。物価が上がり紙幣の価値は急落。レストランでの一回の食事代が600万ジンバブエ・ドルなどととんでもない金額になりました。
そのため、政府は物価に合わせた桁の大きな紙幣(100億ジンバブエ・ドルなど)を発行。最終的には100兆ジンバブエ・ドル紙幣が発行されるまで通貨の価値が落ちました。その後、アメリカ・ドルに移行することになりジンバブエ・ドルは流通停止となりました。
●アルゼンチンのハイパーインフレ
アルゼンチンは1980年代の後半にハイパーインフレに陥りました。当時、アルゼンチンはフォークランド紛争で国内経済が不安定な状態。そこに経済政策の失敗などが重なりハイパーインフレが起きました。
この時の物価上昇は1989年が前年比の50倍。単純に考えると、1988年に100円だったものが1989年には5,000円になっているということです。当時のアルゼンチンの通貨であるアウストラル、このインフレに合わせて50万アウストラルという高額紙幣が発行されました。
●旧ユーゴスラビアのハイパーインフレ
ユーゴスラビアでは1980年代の中ごろから経済が不安定になりました。以降、常にインフレの状態でしたが、1990年代前半の国内紛争で経済が完全に疲弊し、ハイパーインフレが起きました。
当時のユーゴスラビアの通貨はディナール。1980年代の後半には50万や100万、さらには200万ディナールといった高額紙幣がすでに発行されていましたが、ハイパーインフレ真っただ中の1992年に100億ディナール、翌93年には5,000億ディナールが発行されました。5,000億ディナールは当時500円ほどの価値しかなかったそうです。
●ドイツ
第1次世界大戦が終結した後のドイツでもハイパーインフレが起きました。当時のドイツは敗戦による社会不安などでインフレが発生しつつありました。
それなのに政府がお札を大量に発行したため、インフレがものすごい勢いで加速。物価は上昇する一方なのにお札だけが大量に流通して価値が激減、あっという間にハイパーインフレに陥りました。一時は何の変哲もない食材が数兆マルクで取引されるなどしたそうです。発行される紙幣の桁も上がり続け、ついには100兆マルク紙幣まで発行されました。
●ハンガリーのハイパーインフレ
ハンガリーでは第2次世界大戦終了後の1946年にハイパーインフレが起きました。この時のハイパーインフレはすさまじいもので、例えば朝に400円だったパンが夕方には800円になっているといった具合に、とんでもないスピードで物価が上昇していきました。
通貨の価値は下がり、前述のジンバブエやドイツと同じく高額な紙幣が発行されました。最終的に流通はしませんでしたが、10垓(1垓は1京の1万倍)ペンゲー紙幣というよく分からない桁数の紙幣まで印刷されました。
めったに起こることではありませんが、起こってしまうととんでもないことになるハイパーインフレ。大量のお札が出回るので、お札に囲まれてお金持ち気分にはなれるかもしれませんが、できることならこんな事態にならないようにしてもらいたいですね。コンビニでおにぎりが1個100兆円なんて勘弁してもらいたいです。
(中田ボンベ@dcp)