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朝鮮は降伏するときも「上から目線」だった

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朝鮮半島には「李氏朝鮮」(1392年~1897年)という国がありました。日本が併合する前、500年以上も続いた国ですが、日本からするとヘンな国で、韓国が「現在に至るもヘン」なルーツは李氏朝鮮にあるのではないか、と思われます。

田中明先生の著作から以下に引用します。

「李朝五百年」のちょうど真中辺りになる時期に、朝鮮王朝は北方に興った女真族の国・清に攻め込まれて降伏するという屈辱を味わった。

(中略)

降伏前、朝鮮朝廷が和を求めて清に送った文書のなかに、「勇者の時代」には考えられないような文言があったからである。

そこでは「自分たちは武を重んじていない」ということが、昂然と(という印象を受ける)述べられていた。

(中略)

というのは、これらの文書は、朝鮮王として

「今日の事態に至った経緯を考えれば、わが天性が柔弱で、愚かな群臣に誤らされたからであった。従って、みずからを責めるのみで、言うべき言葉もない」とか、

寛仁大度な清皇帝は「小邦が前非を悔い寛仁なる御庇護を受けようとするのを拒まれないであろう」といった辞を低うした文字を連ねる一方で、

弟に罪があれば、兄が怒ってこれを責めるのは当然である。しかし、責め方があまりに厳しければ、かえって兄弟の義にもとることになる。それは天の喜ぶところではない」とか

「われわれは過ちを犯したが、貴国が寛大に小邦の改心を認めて宗社の保全を許し給うなら、小邦の君臣はその恩義を胸に刻んで永久に忘れないであろう。

しかし、一時の怒りを晴らすために兵力を用い改心の道を閉ざし、兄弟の誼を損ない、諸国の期待を裏切るならば、貴国の将来にとっても良いことにはならぬであろう」

と緩やかな処置を注文(?)する言葉をも重ねているからである。

しかし、まるでお説教を垂れるような情状酌量の“注文”に、相手がどれほど動かされるだろうか。

国が危急に瀕しているときの言葉としては、あまりにも甘い考えだといえる。

だが、それは武を重視してきた日本人の考え方で、朝鮮の支配層はそうは思わなかったようである。

なぜなら、武に弱いことが文化的優越性の証だと言わんばかりの武蔑視の思想に浸っておれば、いっとき武に敗れたとしても、それが深刻な敗北感には繋がらないからだ。
(後略)

⇒参照・引用元:『物語 韓国人』著:田中明,文藝春秋,2001年(平成13年)08月20日 第1刷発行,pp65-68
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による。

朝鮮王は、自分たちが蛮族と侮蔑してきた清に降伏しなければならなかったとき、それが降伏する国の言うことかね――という文書を送っています。

そもそも最終的な責任者である朝鮮の王様が――「愚かな群臣に誤らされた」などと部下のせいにする――というのはどういうことなのか、と呆れるしかありません。

また「前非を悔いて、あなたの寛仁なる御庇護を受けようとするのを拒まれないでしょう」と身を低くしている割には、「あまりにも強く怒りすぎると、兄弟の信義にもとる」と書くに至っては、これで謝罪しているつもりなのか――と絶句するのではないでしょうか。

田中先生は「緩やかな処置を注文する言葉をも重ねている」と上品に書いていらっしゃいますが、こういうのは現在の言葉では「上から目線」といいます。

負けた方が、勝った方に「怒り方」の注文をつけています。

また注目したいのは「諸国の期待を裏切るならば、貴国の将来にとっても良いことにはならぬであろう」の「諸国の期待を裏切るならば」です。

これは、現在でも使われる「日本はアジアで孤立するだろう」「世界で日本の評価は下がるだろう」にそっくりです。その「アジア」「世界」はどこの国のことなのでしょうか。

「現実に負けているのに、精神的に勝利しているので負けたことにはならない」というのも現在の韓国に通じます。ことほどさように李氏朝鮮というのは、日本人から見てヘンな国、異質な国でしたし、それは現在の韓国にも通底しています。

従って、日本は「韓国とは分かり合える」などという幻想を抱くべきではありません。

古田博司先生が説いていらっしゃるように「箸と漢字しか共通点などないよ」という態度が正しいのです。

その漢字も韓国では教えなくなっていますので、もはや「箸を使っていること」しか共通点はなくなりつつあります。

(吉田ハンチング@dcp)

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