いまだに「東アジアの連帯」などと寝言を言う人がいます。日本からすると近代国家ではない、自由主義国家でもない国との連帯などできるわけがありません。
その国を成立させている根本部分の秩序・ルールが違うのになぜ連帯などできるでしょうか。もう何度だっていいますが、中国は法治国家ではありませんし、言論の自由もないので連帯すべき人民などいません。
韓国も今、検察総長出身の大統領が「法治」で韓国の方向を正そうとしていますが、これに失敗した場合、強烈な反動がきそうです。反動がくると韓国は「情治」に沈んで元の木阿弥。自由主義陣営から脱落して中国に身を寄せることになるでしょう。
北朝鮮は、核を保有した「なんとかに刃物」という表現がぴったりの中世の王朝国家。金ちゃん王家の三代目が仕切る自由もなければ食糧もない国なので、連帯できる人民もいません。連帯できる人民というのは、ある程度の言論の自由や行動の自由というものがなければ存在しないのです。
徹底的に国民が弾圧されている国になぜ「連帯できる人民」があり得るでしょうか。
古田博司先生の箴言を以下に引いてみます。
(前略)
三十年間、東アジアの研究に携わってきた筆者から見れば、中国人も韓国人も北朝鮮人も圧倒的に日本人が嫌いである。これは否定すべくもない事実で直しようがない。個人的には日本人に好意を寄せていても、同族が集まって集団的な見解を述べる際には必ず反日になる。
なぜならば、日本人は中華の礼(同義)からもっとも遠いところにいる蛮族なのであり、その蛮族が自分たちを見下し侵略し、なすすべもなく茫然自失しているうちに、勝手に敗戦して戦後また繁栄していると見えるからである。
日韓基本条約のときの日中友好条約のときも、そのような日本からの援助が欲しかっただけで、その当時は嫉妬も押し隠して笑顔を向けた。
しかしその微笑みが本物でないことは、やがて露わになっていったではないか。
そして戦後からずっと、「東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えば分かる」といい続けたのは、実は共産主義者であり、社会民主主義者であり、進歩的文化人であり、良心的な知識人たちであった。
伝統的なことにかけては、右も左もない。
日本では「伝統的な善人」や、「国際的な正義派」がいつも国を過つのである。
(後略)⇒参照・引用元:『新しい神の国』著:古田博司,ちくま新書684,筑摩書房,2007年10月10日 第1刷発行,pp44-45
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による/以下同
日本人は自分の国を過たないように現実を見るべきです。
(吉田ハンチング@dcp)