根深い韓国の古代史歪曲。「願望」は事実ではない

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韓国メディア『世界日報』が歴史認識について世にもあほらしい記事を出していますので、ご紹介します。

記事のタイトルは「『広開土王碑、なぜ朝鮮半島支配証拠に』(?)…根深い日本の古代史歪曲[日本の中の韓国文化財]」です。

「根深い日本の古代史歪曲」などと書いていますが、事実は全く逆で「根深い韓国の古代史歪曲」が正しいです。

同記事では、「倭国が朝鮮半島の一部地域を支配していた」ということが気に入らないので、

4世紀の日本の状況を見ると、古代日本の朝鮮半島支配説は成立しにくい。初期中央集権的形態を備えたのが5世紀初めであり、6世紀にも九州地方勢力の妨害で海を渡ることが難しかった大和政権にはそのような力量がなかった。

と寝言を書いています。寝言は寝ているときにいいましょう。

「大和政権にはそのような力量がなかった」と断定していますが、バカな話で、なにより好太王碑(広開土王碑)に「力量があった」と書いてあるのです。

好太王碑の文面
百殘,新羅舊是屬民,由來朝貢,而倭以辛卯年來,渡海破百殘,□□新羅,以為臣民。(後略)

上掲の意訳
百済・新羅はもと高句麗に服属する民で、これまで高句麗に朝貢してきた。ところが、倭が辛卯の年(三九一)以来、海をこえて襲来し、百済や新羅などを破り、臣民とした。

朝鮮半島に倭国が征服地を持っていたと書かれています。気に入らないからと否定して「力量がなかった」などと書いています。歴史修正主義者かばかの言説です。

この好太王碑は日本書紀および中国の歴史書の記述を裏付ける重要な1次資料ですが、韓国人は気に入らない(自分たちが信じたい歴史と違う)ので、日本(日本帝国陸軍)が拓本を改ざんしたという「言いがかり」もつけました。

言いがかりをつけたのは在日朝鮮人の李進熙という人物です(後に韓国籍を取得)。考古学者との肩書がありますが、反日思想をもって勝手な解釈を繰り広げ、全く事実でない説を流布させました。好太王碑についても同じです。考古学は実証的な学問でなければなりませんが、李進熙さんは全くそのような態度とは無縁の人でした。

しかし、この碑が発見された1881年に取られた墨本が中国にあって、そんなことは一切なかったことが明らかになっています。

しかし、自分の信じたい歴史しか認めない韓国では、いまだに日本が改ざんしたと主張するバカが絶えません。

『世界日報』は、「広開土王碑、なぜ朝鮮半島支配証拠に」などとタイトルにしていますが、「なぜ」も何も好太王碑文に「そう書いてある」からです。

高句麗の好太王(広開土王)というのは、韓国の皆さんも名君と評価し、駆逐艦の名前にも付けるほどですが、その人の事績を記した碑文を信じないというのでしょうか。

この『世界日報』の記事では、さすがに「好太王碑文の文面にウソが記されている」とは書けないので、朝鮮半島から倭国に文物が流れており、川上にあった朝鮮半島が倭国に支配されていたわけはないだろう――とするために、以下のように書いています。

(前略)
日本博物館にはこのような事実を証言する遺物が少なくない。このような遺物をどのように見せて、説明しているのか。

(中略)

福岡県の6世紀古墳から出土した「鳳凰環状鍔頭」について説明する。

5~6世紀に造営されたとみられる江田船山古墳出土の装身具については「朝鮮半島南部から伝来したもの。被葬者の国際的な性格を示している」、「金銀製の巾着は韓半島とほぼ同等のレベルの製品」、「これらの出土品は百済をはじめとする朝鮮半島の王権とも交流した地方豪族の活動と先進性を多角的に示している」と説明した。

遺物を簡潔に紹介した展示物のキャプションには、古代日本が朝鮮半島から受けた影響、当時日本に比べて発達した朝鮮半島の先進性などを率直に認める姿勢が込められています。

これは東京博物館だけの話ではない。

東京博物館の古墳出土遺物の説明と東洋文庫の広開土王碑文の説明に見られる違いは、韓日古代史を扱う日本の態度に相違があることを示しているのではないだろうか。

もちろん、この相違の中で、100年前に日帝が朝鮮半島支配を正当化するために創作した歴史観が今もなお残っていることを確認することができる。

「東京博物館の古墳出土遺物の説明と東洋文庫の広開土王碑文の説明に見られる違い」と、まるで「朝鮮半島からの文化流入」と「倭国が朝鮮半島に支配地を持っていたこと」が両立しないような書きようです。

この二つは両立し得ます。

朝鮮半島に支配地を有していたからこそ、朝鮮半島との文化的交流が盛んだったとも考えられるからです。

また「当時日本に比べて発達した朝鮮半島の先進性などを率直に認める姿勢」と書いていますが、自ら引いてるキャプションは「百済をはじめとする朝鮮半島の王権とも交流した地方豪族の活動と先進性」です。

厳密にいえば「(朝鮮半島とも交流した)倭国の地方豪族の先進性」であって、別に「朝鮮半島の先進性」については書いてはいません。

要するに、この記事は倭国が朝鮮半島に支配地を保有していたことを否定したいのです。

悔しいのでしょうが、願望を事実にはできません。一次資料たる好太王碑がその願望を否定しているからです。

いまだに韓国人は、全ての文化は朝鮮半島から日本へ流れたなどというウソを信じており、歴史的事実としたいためにテキトーな記事をメディアに出します。

こういう態度をこそ歴史歪曲というべきです。

(吉田ハンチング@dcp)

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