「韓国の独立は自ら勝ち取ったものではない」という認識

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韓国という国は、1945年の日本の敗戦を機に誕生しました。

日本が敗戦によって朝鮮半島からすっかり手を引いたために生じた国です。日本が引いた後、アメリカ合衆国が軍政を敷き、その後に独立国として承認されました。

韓国政府は、日本からの独立運動を行っていた先人たちの後を継いだ政府であるとして正当性を誇っていますが、しかし日本からの独立運動に勝利して勝ち取ったものではありません。

初代の大統領となった李承晩(イ・スンマン)さん、軍事独裁政権を打ち立てた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は熟知していました。言葉は悪いですが「韓国の独立はいわば棚ぼたで得たものだ」と。この2人の大統領が、韓国の独立について述べた言葉を拾ってみましょう。

まず、李承晩(イ・スンマン)大統領の1954年08月15日の演説です。

「事実をありのままに言うのなら、今日が本当の解放の日だと言うことはできない。

わが半島の半分が解放されたことは事実であり、わが友邦たちが我々を共産党の脅威から保護してくれていることも事実である」

『大統領李承晩博士談話集』第2輯,韓国広報室,1956年

李承晩(イ・スンマン)さんは海外で独立運動を行った人ですが、独立運動に勝利して独立を得たとは言っていません。わが友邦たち、すなわちアメリカ合衆国が共産主義から保護してくれている、そのおかげで韓国はもっていると述べています。

次に、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領。

「1945年08月15日。この日はわが民族の解放記念日である。

しかし、民族解放が自力によって、民衆の自覚的成長によって勝ち取られたものでなく、『終戦の土産』として連合軍により贈与されたものであったので、これがそのまま解放後16年間の混沌の時期をもたらした原因になったといえる」

『朴正煕選集 第一巻 韓民族の進むべき道』鹿島研究所出版会,1970年

両大統領の認識はこのようなものでした。

これが、金大中(キム・デジュン)大統領になると以下のように変わります。

「我々は、世界に類例のない、偉大な光復闘争の歴史を持っています。

先烈は日帝下の全植民地期間を通じて、一日も休むことなく武器闘争を継続され、3.1運動以降、樹立された臨時政府の法統を守り抜いてきました。

まさにこれこそ、我が民族のみが有する誇るべき歴史に他なりません」

2001年08月15日光復節記念式典での演説

金大中(キム・デジュン)大統領に至って、韓国の独立は独立闘争によって獲得したものであると変質したのです。

触れられている3.1運動というのは、1919年(大正8年)に起こった大規模な独立運動のことです。キリスト教、仏教、天道教などの宗教の指導者たちが主導して行われました。翌04月には、朝鮮全土に運動が拡大し、日本は治安維持のため鎮圧を行います。

司直の手を逃れた運動家たちは、海外に移動して独立運動を展開することになります。代表的な人物は金九さんで、中国・上海に逃亡して「大韓民国臨時政府」に参画しました。

韓国の憲法前文にある「わが大韓民国は3.1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と……」とあるのはそのためです。

しかしながら、事実は「3.1運動が鎮圧されて、結果海外で作られた大韓民国臨時政府が日本と戦って勝利し、独立を勝ち取った」のではありません。日本が朝鮮半島から手を引いた時に、海外から戻ってきて、われらこそ正当な政府と名乗っただけです。

また、連合国側からは正当な政府と承認されませんでした。

韓国は「日本から独立を勝ち取った」と述べますが、経緯からいって勝ち取ったとはとてもいえません。にもかかわらず「勝ち取った」といって、それを信じようとしているのです。

(吉田ハンチング@dcp)

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