韓国の皆さんは李氏朝鮮のころから変わっていないのではないか――という件をご紹介します。
まず『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』という本の中から、「韓人は単純だ」という小見出しの部分を引用してみます。
ちなみにこの本は明治27年(1894年)に刊行された『朝鮮雑記』を現代語訳したものです。
もともとの『朝鮮雑記』は、本間九介さんという方が著したもの。本間さんは李氏朝鮮当時に朝鮮半島を旅し、実際に経験したことを『二六新報』という新聞に連載しました(連載期間は1894年04月17日~06月16日)。
連載をまとめたのが同著です。
現在の目からすると乱暴な物言いがあったりしますが、本間さんが見聞きしたこと、感じたことを素直に書いていることは確かです(本間九介さん個人の感想です)。
以下をご覧ください。
韓人は単純だ
韓人は、比較的に正直というよりは、むしろ単純というべき人種である。
彼らの喜怒哀楽はすこぶる現金的(目先の利害や状況で、態度や主張を変える)なものだ。
彼らは、人の面前を装い、あるいは飾るなどという、陰険な部類に属する性質が少ない人種である。
というわけで、彼らは、眼前では、恩にも感じ、また、威力にも服従する。しかし、しばらくすれば、たちまち忘れており、まるで知らなかったことのようにふるまうのである。
これは、彼らの中に、心服する(強く心に感じ、したがう)という性質が、備わっていないからだ。
誰かが、もし、彼らを心服させようと努力したところで、効果を得ることは、まったく稀である。
たびたび威力を加えていると、恨むし、たびたび恩を施していると、それに慣れっこになってしまう。
そういった意味では、たいへんあつかいにくい人種なのだろう。
例として、彼らが金を借りたとしてみる。
その借用書には、期日を経過しても返済の義務を果たさない場合は、違約金として五貫文を求めるとか、法的な手続きをして公裁をあおぐこととするとか、ゆったりと書いておいても、瓜期(期間の満了)になって、返済を催促したなら、彼らは必ずこう答えるであろう、「一銭もありません。もう少し待ってもらえませんか」と。
貸した人が、それは最初の約束と違うと責めれば、彼らはこう言うのである。
「ただいっときの苦しまぎれに、そう書いただけです。当時から、すでに、そのとおりにできるとは思っていませんでした」と。
彼らは、常にこういった弁疏(言い訳)をするのであるが、いっこうに恥じる様子はない。
しかし、不思議なことに、彼らは、借りた金を借りていないとは言わないのだ。
実に、単純な人種だといえるのではないだろうか。
証文に期日を約するのは仮相のもので、期日さえ延びれば、貸借関係も引き継がれると考える。
これこそ韓人の真面目。
⇒参照・引用元:『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』著:本間九介,クリストファー・W・A・スピルマン監修・解説,平成28年02月05日初版第1刷発行,祥伝社,pp47-48
※ルビは原文ママ/強調文字、赤アンダーラインなどは引用者による
次に、時代が100年近く(95年)下って、室谷克実先生の1989年の著作にはどう書いてあるでしょうか。
以下をご覧ください。
「約束」とは一時の方便
日本企業は、「信用」重視の立場から、「契約」をしたら最後、損をしても約束を守ろうとする。
損をしても約束を守ってこそ、信用が築かれる側面もある。
これに対し韓国社会は、「不信社会」であり、常に「欺されまい」とする予防的緊張が働いている。
契約したら絶対的順守義務が伴うという観念は希薄だし、「約束」の効力も短期間だ。
金泳三氏は一九八〇年、自ら「今後、一切の政治活動はしない」と声明した。
金大中氏も同趣旨の嘆願書を大統領に提出し、アメリカへの出国を許された。
しかし八四年には、二人とも、そんな声明や嘆願書のことなど全く忘れたように政治活動を再開した。
問い詰めたら二人はおそらく、「あの時は、ああ言わねば逃げられなかったから」と語ろう。
しかし、ここではもはや体制側も、古証文を持ち出そうとはしない。
商取引でも同様だ。
ソウルのホテルのレストランで耳を澄ませていると、日韓ビジネスマンの言い争いが聞こえてくる。
日本人ビジネスマン「あなたは、あの時、ちゃんと約束したじゃありませんか。」
韓国人ビジネスマン「それは、あの時は確かに約束しましたよ。しかし、あの時とは状況が変わりましたから。」
(後略)⇒参照・引用元:『新版「韓国人」の経済学―これが「外華内貧」経済の内幕だ』著:室谷克実,ダイヤモンド社,1989年01月20日,pp65-66
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による。
1894年の本で本間九介さんが述べたことも、1989年に室谷先生が指摘したことも、本質は同じです。
韓国の皆さんにとって、約束などその場逃れの方便であって、いともたやすく破られる。日本人からすると、とてもついていけない――ではないでしょうか。
今回の「いわゆる徴用工」問題も、韓国の司法が「1965年の日韓請求権協定をひっくり返すような判決」を2018年10月30日に出したために起こったものです。
韓人の真面目とやらは変わったのでしょうか。
(吉田ハンチング@dcp)