日本は韓国や中国に謝罪しろ・謝罪しろといわれると、すぐに謝ってしまうヘキがあります。
なぜそうなってしまうのかについて、田中明先生が言及していらっしゃるので少し長くなりますが著作から以下に引きます。
田中明先生は、1926年(大正15年)生まれで小中学生時代を韓国ソウルで過ごしました。つまり、日本の併合時代の朝鮮を実際に経験した方です。朝日新聞で記者を勤め、調査研究室幹事などを経て1979年に退社。その間には韓国高麗大学に留学。韓国に対する深い知見をお持ちで、韓国人の思考方法の底にあるものがなんなのか、なぜそのような言説をするのかについて、非常に的確で緻密な分析を行っていらっしゃいます。
田中先生の著作は、韓国ウォッチャーに「考え方の指針」を与えてくれるのです。
以下です。
(前略)
韓国人は認めたがらないかも知れないが、過去の植民地支配に対する負い目の意識を、世界の中で一番強く持っているのは日本人だと、私は思っている。同じ文化圏に属した同類と<支配・被支配の関係>になり、しかも自分が支配の側に身を置いていたということに、日本人は何かしらの咎めを覚えるのである。
日本と韓国とは同一・一体でなければならないという意識がそこにはあった。
朝鮮総督府が「内鮮一体」とか「皇国臣民化」といった、いまや悪しき同化政策の典型だと攻撃されている施策を、しきりに唱えたのは、そういった意識があったからだ(「満州国」建国にさいしてうたわれた「五族協和」という理念についても同じことが言える)。
にもかかわらず、現実には差別したという事実があり、それが負い目の意識として胸を刺すのである。だから韓国や中国から、過去の所業を謝罪せよ・反省せよと言われると「すみません・すみません」と反応するのだ。
これに反して植民地支配の本家である西洋人には、負い目の意識など全くない。
むしろキリスト教文明の恵沢に浴させてやったという気持ちであろう。
だから、謝罪せよなどと言われると、怪訝な顔をし反発する。その辺はかつての被支配国の方も心得ていて、謝れなどという要求は口にしない。
要するに韓国や中国は、突っつき易い日本を突っついて、外交的に有利なポジションを得ようとしているに過ぎないのだ。だから、それは政治的次元の問題で、道徳の問題ではない。
もっとも「それが国益になるのなら、なんで悪い」と居直られれば返答に困るが、私など自分では親韓派と思っている者には、腑抜けた戦後の日本人を恐れ入らせるような易しいことを――白人には通用しないが日本人には有効だという、そんな安易なことを、いつまでもやっていていいのだろうか、という気がする。
(中略)
それに「われわれはお前たちからこんなひどい目に遭ったんだぞ」と日本に”やられた”ことを得々と(そう私には見える)語って、日本を謝らせようとする行動のスタイルは、どう見ても他者の尊敬を得る道ではない。
(後略)⇒引用元:『物語 韓国人』著:田中明,文藝春秋,2001年08月20日 第一刷発行,pp187-188
意識するしないにかかわらず、日本人は植民地支配を行ったということに負い目を感じており、それがすぐに「すみません。すみません」と口にしてしまうことにつながっているのだ――と指摘していらっしゃいます。
対して、植民地支配の本家である西洋人にはそんな負い目は感じていません。「植民地支配を悪いこと」とは考えていないからです。なので、謝罪を要求されたりすると怪訝な顔をするのです。
この日本人と西洋人の大きな違いについては意識していないといけないでしょう。
また「韓国や中国は、突っつき易い日本を突っついて、外交的に有利なポジションを得ようとしているに過ぎない」という田中先生の指摘は、韓中の思惑について正鵠を射たものでしょう。
道徳の問題と主張するかもしれませんが、そうではなく全く政治的な動機に裏打ちされたものなのです。ですから、日本はそのような物言いに引きずられる必要はありません。
(吉田ハンチング@dcp)