韓国メディア『NEWSIS』がひどい記事を出しています。
「日本の酒造は朝鮮半島からもたされた技術によってできた」というインチキ学者の主張をそのまま記事にしています。
↑「日本酒醸造、壬辰・倭乱の時に捕まった朝鮮人が教えた」という『NEWSIS』の記事/Googleの自動翻訳なので日本語がヘンな箇所がありますがご寛恕ください/スクリーンショット
若い読者の皆さんはご存じないでしょうが、この金文吉(キム・ムンギル)さんは有名人です。通称「文吉」といって、ウソばかりつく歴史歪曲の札付き。
「韓日文化研究所・釜山外大名誉教授」と肩書だけは偉そうに見えますが、全く信用できない学者モドキの人物です。「新たな史料を発見した!」と吹いては、まともな歴史学者から「あんなのと一緒にしないでくれ」と白い目で見られる人です。
この記事は「金文吉によると……」という内容ですが、記者は文吉の妄想を信じてそのまま書いています。
朝鮮征伐の際に加藤清正が、朝鮮人の酒造技術者を連れて日本に戻り、それで日本に「酒造技術(発酵)」が伝わった――としています。バカの主張です。
これが「日本酒」のことをいっているなら「歴史の歪曲」です(焼酎でも同じ:後述)。
そもそも朝鮮半島にあった発酵酒は、誰にでもできる「どぶろく」みたいなものだけです(正確には他に薬酒があった/焼酎は蒸留酒)。
「どぶろくに類するアルコール飲料」というのは、世界中にあります。米、トウモロコシ、バナナなど、酵母の餌になる糖分があれば、ためて放置するだけでも発酵酒ができる(可能性がある)からです。
木のうろにためていた木の実が発酵して、それを飲んだ猿が酔っ払って……なんて話があるのは、それぐらい簡単だからです。だから朝鮮半島のような酒文化不毛の地でも、どぶろくのようなものが造れました。
実際、日本では縄文時代にはすでに果物や木の実(クリ、クルミ、シイ、トチ、カヤ、ドングリなど)から造られた酒があったのではないか――と見られています。
日本における最古の酒造りに関する記述は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するときに造らせた「八塩折之酒(やしおりのさけ)」です。神話の時代にすでに酒造りが行われていたことを示唆しています。
また奈良時代初期に成立した『播磨国風土記』には、「大神に供えていたお米にカビが生えたので、酒を造って捧げた」という主旨の記述があります。
つまり、日本では古くからお米を使って酒を造っていたのです。
室町時代から戦国時代にかけて「火入れ」や「段仕込み」など、現代の酒造りの原型となる技術が開発され、それが広まっていきました。
『NEWSIS』のばかな記事は、朝鮮征伐時代に酒造技術が日本に伝わったなどと文吉の主張をそのまま書いていますが、上記のとおり日本ではすでに現在にまで通じる技術が登場する時代となっていました。
原始的などぶろく類しか造れない朝鮮半島の醸造技術など必要ありませんし、そんなもの日本に持って帰っても仕方ありません。酒造技術先進国・日本(現在もそうです)が、後進国の技術など必要とするでしょうか。
「日本の酒造技術が朝鮮征伐の時代に半島から伝わったもの」という認識は歴史歪曲でお話になりません。
「また文吉か」――なのです。
文吉は日本酒の凄さが何も分かっていません。
蒸留酒であれば――簡単にいえば、とにかく水をどんどん蒸発させてアルコール分だけ残せば度数は上げられます※1。
日本酒が世界でも他に類を見ないのは、発酵酒であるくせにアルコール度数を18度などという驚異的な水準にまで高め※2、かつ発酵を止める技術が用いられたものであることです。
日本の「杜氏さん率いる酒造集団」というのは、恐るべき技術者なのです。
蒸留酒は発酵した液体を蒸留することで作られます。蒸留プロセスでは、発酵液を加熱してアルコールを気化させ、その蒸気を冷却して再び液体に戻します。この方法により、アルコール濃度を高めることができ、ウイスキー、ブランデー、ウォッカなどの飲料が得られます。蒸留酒のアルコール度数は通常40%以上になります。
※2
通常の発酵酒では、アルコール濃度が14%程度に達すると酵母の活動が停止しますが、日本酒の製造工程はこの限界を超えてアルコール度数を高めることを可能としました。日本人の魔改造能力が発揮された結果ともいえます。日本人は昔から「工夫して限界を乗り越えること」が大好きなのです。
――というわけで、文吉に聞いた韓国『NEWSIS』の記事は全くのでたらめです。こういうでたらめを信じた韓国人がまた「朝鮮人が日本に技術を伝えた」とウソを広めていくのです。
バカの二乗です。
ついでに(よせばいいのに)親朝鮮なお調子者の日本人がいい加減な話に付和雷同して拡散しますから、これを入れるとバカの三乗です。
「焼酎」においても朝鮮人は関係ない
付記しますが、記事に併せて掲載されている写真は上掲のようなものです。「これ焼酎じゃん」です。文吉も記事を担当した記者も、日本酒と焼酎の区別もついていないのでしょう。
漢字が読めないせいかもしれません。
もし、文吉が「焼酎のことだ」と言い訳しても無駄で、それもウソです。
なぜなら、「焼酎」は、郡山八幡宮から見つかった木札で、1559年(永禄2年)にはすでにあったことが分かっているからです。
1954年(昭和29年)に発見された木札には「ここの住職は、大工に一度も焼酎を飲ませてくれなかった。本当にケチだ!」という不平が書かれていたのです。これが「焼酎」が文字で確認できる最古の例とされています。
この「焼酎落書」については、以下のホームページに書かれていますのでもし興味があれば参照してみてください。
⇒参照・引用元:『鹿児島県観光サイト かごしまの旅』公式サイト「郡山八幡神社(焼酎落書)」
1559年にはすでに焼酎がありましたし、書きようによって「愛飲」されるものであった(つまり焼酎を楽しむ酒文化があった)ことが分かります。
朝鮮征伐、すなわち文禄・慶長の役は「1592~1598年」です。
朝鮮征伐の際に焼酎製造の技術が初めて伝えられた――わけがありません。
発酵酒である日本酒にせよ、蒸留酒である焼酎にせよ、朝鮮征伐時に朝鮮人が日本に醸造技術を伝えたなどという話は全く成立しません。
文化は高いところから低い方へ流れます。「どぶろくみたいなもの」と「焼酎」しか造れなかった朝鮮半島の酒造技術など、日本人が欲しがるわけないでしょう。
これもまた「全ての文化は朝鮮半島から日本へ流れた」――そうであってほしいという願望(ウソ)を事実のように垂れ流したものです。
『NEWSIS』は韓国メディアの中でも面白い方ですが、文吉に話を聞くのはやめるべきです。
(吉田ハンチング@dcp)