韓国の高度経済成長は1962年に朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が立てた5カ年計画に端を発します。それから35年間、韓国は自称「世界最貧国」から大きく経済規模を拡大させました。
この韓国の経済成長は時に「漢江の奇跡」といわれます。
しかし、奇跡というのは神様が起こすものであって、人力で成したものは奇跡とはいいません。起こったからにはなぜそうなったのかの理由があります。
結論からいえば「漢江の奇跡」は借金経営でした。以下の韓国の1980~2000年の経常収支の推移をご覧ください。
ご覧のとおり、韓国の経常収支はほとんどがマイナスにあります。経常収支がマイナスであるということは、貿易・サービスなどの収支がマイナスで本来であれば、お金が外国に出て行くばかりです。
これをファイナンス(穴埋め)するために韓国は外貨を外国から獲得しました。簡単にいえば借金です。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の時代から開発・発展にドライブがかかった韓国では財閥が規模を拡大。海外進出を図り、そこでまた莫大な外貨を借りたのです。
経済を大きくするために融資を受けることは決して悪いことではありません。それどころか、必要なことです。しかしながら、韓国政府また韓国企業はやり過ぎました。事業をタコ足式に拡大し、(利益で出るかどうかを度外視して)これをまた借金でドライブしたのです。
当然、負債は巨額に膨れあがりました。
そして1997年。ついにこの借金ドライブが回らなくなる時が来たのです。
アジア通貨危機です。
外国人投資家が韓国政府・韓国企業を信認しなくなり、融資のロールオーバー(借り換え)を拒否。融資の引き上げ・回収を一気に図ることとなります。
とたんに韓国の外貨が枯渇して、1997年11月ついにバンザイしました。日本とアメリカ合衆国に緊急融資を求めましたが、両国ともこれを拒否。日本が拒否した背後には、合衆国政府の意向があったとされます。
現在の韓国で時に「死神」と呼ばれることもある『IMF』(International Monetary Fundの略:国際通貨基金)が乗り込むことになりました。
1962年から始まった韓国の高度経済成長は1997年に一瞬で破断界を迎えたのです。
大変に皮肉なことに、前年、1996年には韓国が先進国クラブと呼ばれる『OECD』(Organisation for Economic Co-operation and Developmentの略:経済協力開発機構)に加盟しています。
つまり、「韓国は先進国と認められた!」という翌年に事実上破綻したのです。
(吉田ハンチング@dcp)