朝鮮の青磁は日本人が復活させた。韓国人の美意識すら日帝残滓です

広告
おススメ記事

韓国の皆さんは、文化は全部われわれが日本に伝えたなどとウソをいいます。

例えば、陶磁器。豊臣秀吉が朝鮮半島に攻め込んだときに陶工を日本に連れ帰った。それで日本に陶磁器が発達したのだ――といった言説です。

この時期に、侵攻軍が陶工を連れ帰ったのは事実です。

しかしながら、秀吉の慶長文禄の役の後、朝鮮半島では陶磁はどうなったでしょうか? 時代が下って日本併合前の李氏朝鮮の時代、陶磁の美など見向きもされず、青磁は技術が断絶して製作もできないようになっていました。

これは秀吉のせいではありません。朝鮮人自身が朝鮮の陶磁を美しいとは思わず、廃れるにまかせてきたからです。朝鮮の陶磁に美を見出したのは日本人です。

筆者が言っても信用されないかもしれませんので、松本厚治先生の著作から以下に引きます。

(前略)
高麗・李朝の古陶磁を保存してきたのは日本で、朝鮮ではない。

玩物喪志を戒める儒教の影響からか、当地では古物を尊ぶ意識が薄く、命銘や箱書きの慣わしもなく、お宝として伝世されてきたものは皆無に近い

青磁の製法も絶えるにまかせてきたから、復興は自ずと日本人の仕事となった。

陶磁が朝鮮の美を代表するという観念自体日本から入ったもので、韓国人が出土品を集めて美術館を作りはじめたのは、戦後もかなり経ってからのことである。
(後略)

⇒参照・引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,p453
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による(以下同)。

日本人は朝鮮半島を併合して以降に、多くの研究者が日本人の感性と知識で朝鮮の美を見い出します。これが良かったのか悪かったのか、今となっては分かりませんが、陶磁もそうだったのです。

青磁の製法などとうになく、そのため日本人は青磁を復活させることまで行いました。現在の韓国の皆さんが「韓国には陶磁の美という素晴らしい文化がある」などと思っているとしたら、とんだお門違いです。

それはかつて自分で捨ててしまったものなのです。しかも、朝鮮の陶磁を美しいと思う、その観念自体が朝鮮半島が併合されてから日本によって移植されたものです。

例えば、日本の茶人に愛された井戸茶碗は朝鮮では庶民が使う日常用品であって、愛されたり重用されるようなものではありませんでした。

日本の侘び茶の精神や文脈があって初めて美が見い出されたものなのです。

ですから、現在の韓国の皆さんが朝鮮の陶磁を美しいと思っているのなら、それは日本から移植された美意識を使ってそう思うようになったのです。

日本が併合するまでは、そんな美意識はなかったのですから。

意地悪な言い方をすれば、日帝残滓な美意識と言うことができます。日本を清算したいのなら、そのような美意識も捨ててしまわれたらいかがでしょうか。

再度、松本先生の著作から引きます。

(前略)
陶磁の美も、日本人の意識を投影したようなところがある。

旧朝鮮には古陶磁を名宝として貴重視する風はなく、大切に伝世されたてきた例も見当たらない。

日本で珍重されてきた井戸茶碗は、もとはと言えば日常雑器で、茶的美意識が介在して初めて名物になった。青磁の製作ははるか昔にとだえ、優品のほとんどは出土品で、その価値が認識されるようになったのも、日本で朝鮮陶磁熱が高まった後のことである。

技術も失われていたが、陶磁の見識のあった実業家富田儀作が私財を投じ、一〇年の歳月をかけて再興した。

今日の韓国の青磁は、伝承の技によってではなく、彼が復元した(と一般に認められている)技法に基づいて作られている。

青磁は朝鮮の地からいったん姿を消し、二〇世紀になって日本人が「土中より出現復活」させた、古くて新しい芸術なのである。
(後略)

⇒参照・引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,pp448-449
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による。

松本先生が言及されている富田儀作さんは偉人で、韓国にとっては恩人ということができます。もともと鉱工業で成功した実業家ですが、1904年ごろに高麗青磁を復活させることに取り掛かりました。

また、近年の研究で、富田儀作さんが朝鮮の工芸品である螺鈿工芸や編物細工についても深く関与していたことが分かってきています(以下URLは『国立民族学博物』の研究)。

実業家・富田儀作の高麗青磁復興事業を事例とした植民地のエージェントの人類学的研究(2010-2012) | 国立民族学博物館
目的・内容 本研究には2つの目的がある。第1の目的は、植民地朝鮮において日本人実業家の富田儀作が行った高麗青磁復興事業と、彼の一族による朝鮮工芸品の世界流通、およびそれらが今日の高麗青磁の認識や制作に与えた影響を明らかにするという、史実の究...

松本先生が指摘していらっしゃいますが、「日本が併合したことで朝鮮の文化資産はかえって豊かになった」のです。

陶磁の美もそうですが、日本人が「朝鮮が捨ててきたもの・一顧だにしなかったもの」を発掘、再興、また新たな近代文化を伝えたからです。

韓国の皆さんは認めませんが、もし福沢諭吉さんがいなければ、朝鮮半島には今につながる国文学も創始されませんでした。諺文おんもんは卑賤な文字とされていたのをひっくり返したのは日本が敷いた政策でした。今はハングル(大いなる文字)なんてことになっていますが、その基盤を作ったのは日本人です。

なにせ15世紀に書かれた「訓民正音解例本」が発見されたのは1940年のことです。大事なものだという認識が生まれたからこそ発見されたのです。

諺文の原理や用法を解説した本です。

日帝残滓を清算したいのなら、諺文の使用もやめたらいかがでしょうか。「わが国の文字は漢字。公文書は漢文」が朝鮮の本来の伝統文化だったのですから。

韓国の皆さんがいくら否定しても事実を捻じ曲げることはできません。

日本人は朝鮮半島を併合し統治したことで、日本の美意識を朝鮮の人に移植したといえるのです。だからこそ、「京都や奈良に百済がある」などという、まるで過去を見てきたような言説が出ます。

これは日本の美意識が併合時代に定着してしまったがゆえで、「朝鮮の中に日本の美」を見い出した日本人の認識を裏返したものなのです。

(吉田ハンチング@dcp)

広告
タイトルとURLをコピーしました