プーチンさん「都合が悪くなる」と「丸投げして雲隠れ」

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独裁者は、形勢不利で都合が悪くなったときに「どうするか」――が問題です。威信を保つためには勝利し続けなければならず、常に国民に「勝っている自分」を見せなければなりません。

プーチンさんの場合はどうかというと、部下に丸投げして雲隠れするのです。

有坂先生の指摘を以下に引きます。

(前略)
国家の直面する例外状態の克服を大義名分とする独裁、なかんずく経済発展のダイナミックな牽引役を自称するところの、いわゆる「開発独裁」体制を好意的に評価する人々は西側にも少なくないが、そのような「善意のストロングマン」の神話は、複数の定量的な実証研究によってすでに否定されている。

例えば、1858年から2020年を対象にしたステファニ・リツィオとアーメド・スカリの調査によれば、頻繁にもてはやされるリー・クアンユーのシンガポールや朴正煕(パク・チョンヒ)の韓国の「奇跡」を含めて、経済の発展に有意に貢献した独裁体制は一つとして見出されず、対照的に、独裁が経済発展を有意に阻害した事例は多く認められた。

そもそも、中国やカンボジアのような、歴史上一度たりとも民主主義体制を経験したことのない国家の、古い独裁を新しい独裁とを比較することが、いったいどうして民主主義の欠陥を示す証拠となるのだろうか?

そんなものは、権威主義国家の認知戦のプロパガンダの資材の一つに過ぎない。

実際のところ、権威主義体制における独裁権力の強さは、逆説的に、体制および国家の弱さをもたらすものであり、それは戦争という例外状態においてもあからさまに現れる。ここでプーチン・ロシアの黙示録の第三の騎士として登場するのが、独裁権力の責任回避である。

公共圏からの信任ではなく、神意なり血統なりイデオロギーなり、何かしらの空想上の権威を自らの正当性に据えている権威主義政体の独裁者は、統治や戦争における失敗の責任をかわす術を知っておかねばならない。

それに失敗すれば、第一次世界大戦に敗れたロマノフ王朝や、フォークランド戦争に敗れたアルゼンチン軍事政権のように、権威の毀損が政体そのものの崩壊を招きかねないからである。

もっとも簡単な方法は、政体外部および内部への責任転嫁である。

外部に対しては、プーチンはウクライナの主権と文化の存在を認めないユーラシア主義ないし大ロシア主義を掲げ、ウクライナ国家を抹殺する戦略にイデオロギー的な正当性を与えておきながら、同時に、ロシアが自衛のために「特別軍事作戦」を起こさざるを得なかったのは、NATOの東方拡大は行わないという保証を西側諸国が破ったからだ、という、どこにも記録が存在しない、架空の約束を開戦事由として主張し続けている。

そして侵攻作戦がうまくいかず、戦況が苦戦の様を呈してくるようになると、クレムリンとそのプロパガンダマシンの論調はいっせいに、「我々はウクライナだけではなく、事実上、NATOの全軍と戦っているのだ」との言い訳を流すようになった。

一方、プロパガンダの連呼だけでは隠しきれない、より具体的で切迫した問題に対しては、プーチンは無言のまましばらく姿を消して、実際に問題への対処に当たる部下たちに全責任を丸投げするというやり方を好む。

ウクライナ軍の2022年秋攻勢によって、もはやヘルソン市の失陥を避けられなくなった際は、プーチンは戦況について一言も語らず、市とドニプロ西岸からの撤収という、困難かつ不名誉な仕事をスロヴィキンに任せ、そして撤収が成功すると間もなく彼を総司令官職から解任したのである。

(中略)

このような責任の丸投げは、プーチンばかりではなく、政体の中でおおよそ権威と権力らしきものを持つ組織と個人にとっても便利なやり方である。
(後略)

『ウクライナ戦争の正体』著:有坂純,株式会社ワン・パブリッシング,2023年12月31日 第一刷発行,pp174-176

過去のパターンからいえば、プーチンさんは自身の威信が傷つくようなことがあると部下に丸投げしてほっかむりをする――という態度に出ます。都合が悪くなると雲隠れというのは一国のTopとしてはいかがなものか――ですが、そうでもしなければ独裁者の地位は保てないのでしょう。

(吉田ハンチング@dcp)

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