韓国には匠の精神などない。

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こういうのも「背乗り」というのかもしれません。

韓国メディア『中央日報』が面白い記事を出しています。

朝鮮時代は士農工商の階級社会イデオロギーが支配したが、宮廷・寺刹などを作る匠の地位は相当に高かった。

彼らの中でも設計から監督と監理を担当し建設工事を総指揮した「都片手」の地位が特に高かった。

世宗(セジョン)大王在位30年となった1448年に崇礼門(スンレムン、南大門)の修理工事を担当した都片手は「正五品」、1479年に改築工事を担当した都片手は「正三品」の堂下官の階級を得た。

「都片手は宰相たる器量がなくてはならない」という昔の言葉が教えるように、役割と地位がとても高かった。千年後を予想した彼らの胸は自負心であふれていたはずだ。
(後略)

⇒参照・引用元:『中央日報(日本語版)』「【時論】韓国の建設技術者、匠の精神と革新技術でリセットを」

朝鮮には士農工商※1の階級イデオロギーなどありません。日本が近代を移植する(恵んであげる※2)までの朝鮮にあったのは「支配層たる両班、あとは奴隷」という社会制度でした。

職業に就く、働くのは卑しい行為とされ、両班に搾取され続けるだけの人がいただけです。ですから、当然のように(そんなものがいたとして)匠などと尊敬を集めるわけがないのです。

匠の精神が朝鮮半島にあり、それが維持されているなら(維持されているということは大切にしていたことを意味しますから)、何か少しでもありそうなものですが「何もない」――それが朝鮮の実情なのです。このような状態(社会風潮)は現在も続いています。

韓国の国宝とされている崇礼門が火事になり、燃えてしまった「龍の絵」を再現した際にも、素人が見ても「違うじゃん」となったのは有名な話です。

もし韓国に匠の精神といったものが(本当に)息づいているなら、こんなことにはならなかったはずです。


↑火事前=修復前の写真に戻そうとしたのではなく、1963年時のものを再現しようとしたのだ――という説明をしているのですが……。つまり、韓国には「写実」「先達が作ったものを忠実に再現しよう」という緻密ちみつな精神がまるでないのです。このようなずさんな再現(しかも文化財)を行うような韓国のどこに匠の精神があるというのでしょうか。韓国、いや朝鮮半島にあるのは「まあコレでエエやろ」という「ケンチャナヨ」精神だけです。

※1日本についても士農工商という階級があったというのは「誤り」とされ、教科書に掲載されなくなっています。武士が社会の支配層だった・身分によって違いがあったのは間違いありませんが、社会階層が上から順番に士農工商というような単純なものではなかった――というのが、研究が進んだ現在の考え方です。

※2日本の朝鮮経営は赤字でした。持ち出しが多く、日本本土からの資金がなければ成立しませんでした。つまり日本は朝鮮に近代を施してあげたのです。

もう何度だっていいますが、例えば現在では「朝鮮の美」なんてことになっている青磁は、日本人が見い出した(見い出してあげた)「美」です。その上、製法すら日本人が復活させたものです。途絶えていたので、日本人が編み出すしかなかったのです。

韓国人がいけしゃーしゃーと朝鮮独自の技、美などと述べているものは何から何まで元をたどれば日本産です。それは現在も同じです。

K-POPなるものは「ジャニーズメソッド」を真似て始まったものですし、読みにくいことこの上ない「ウェブトゥーン」なるものは「漫画」を縦にしただけの安易極まるものです。しかも読みにくくしているのですから、こんなものは「改善」「工夫」とは呼びません。

『中央日報(日本語版)』の記事は、まるで朝鮮半島に「匠の精神」があったかのように書いていますが、そんなものはありませんでした――が本当のところなのです。

K-POPはジャニーズメソッドで発展したのではないか
土曜日なので、読み物的な記事を一つ。K-POPの源流と現在に至る道を解説した山本浄邦先生の『K-POP現代史』という面白い本があります。筆者のような音楽的な素養・教養が全くない人間でも、韓国における大衆音楽がどのように発展してきたのかが俯瞰...

(吉田ハンチング@dcp)

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