韓国では政局が大混乱となっています。
尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領は逮捕され拘置所に収監されていますが、憲法裁判所の弁論日には第3回目から出席して自分の意見を表明していらっしゃいます。
最大野党『共に民主党』が国会で通過させた、尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領に対する弾劾訴追案が可決してしまい、これを憲法裁判所が「合憲」と判断すれば、即尹さんは大統領から罷免されます。
↑剣呑な顔で有名な鄭清来(チョン・チョンレ)国会法制司法委員会の委員長。
Money1でもご紹介しましたが、尹錫悦(ユン・ソギョル)さんに対して「心配しなくても尹錫悦(ユン・ソギョル)は死刑になる」と述べた人物がいます。
国会法制司法委員会の委員長を務める、『共に民主党』の鄭清来(チョン・チョンレ)さんです。
鄭清来(チョン・チョンレ)委員長は、国会法制司法委員会の、しかも委員長にふさわしい人物では全くありません。この人は運動圏上がりですが……。
鄭委員長は対米国大使官邸テロで名を馳せた人物である
1989年10月13日、ソウル市貞洞にある在韓アメリカ合衆国大使館邸を占拠、爆弾投擲および放火未遂事件が起こりました。
鄭清来(チョン・チョンレ)さんは仲間5人と共に、計6人で10人の警備員の制止を振り切って侵入。
盧泰愚(ノ・テウ)大統領の売国的訪米反対やグレッグ駐韓合衆国大使の追放を要求し、大使官邸への放火を試みたり、手製爆弾を投擲したりなどの反米テロ行為を行いました。
大使官邸の居室を約50分間占拠しましたが、結局対峙していた警官隊により逮捕されました。
鄭清来(チョン・チョンレ)さんは当時『建国大学』産業工学科の4年生。
1990年03月28日、集会およびデモに関する法律違反、国家保安法違反、特殊公務執行妨害致傷、現住建造物放火予備、暴力行為等処罰に関する法律違反、銃砲刀剣火薬類取締法違反、火炎瓶使用等の処罰に関する法律違反などの罪で懲役2年、資格停止2年の判決を受けています。
監獄に収監されましたが、1990年12月05日に補充役および招集免除処分を受けて、1991年には出所。
その後、1995年08月15日、金泳三(キム・ヨンサム)大統領による光復節特別赦免で赦免復権されました。
鄭清来(チョン・チョンレ)さんが政治圏での活動を始めたのは、このころからです。
韓国の運動圏出身の政治家というのは、主に87年民主化抗争当時の大学学生会長出身や、その後設立された全国大学生代表者協議会(全大協)議長出身がほとんどですが、鄭清来(チョン・チョンレ)さんの場合は、学科代表出身という身でありながら、多数回当選議員と成りおおせている点で異質です。
↑かつてのテロリストは第22代国会法制司法委員会の委員長となりました。
しかも現在、国会法制司法委員会の委員長なのです。
日本では全く知られていませんが(恐らく合衆国も情報機関の人間以外はほとんど知らないはず)、鄭清来(チョン・チョンレ)さんは合衆国大使館邸の占拠 ⇒ 投獄という経歴をきっかけに大物政治家へと成長した人物なのです。
手製爆弾は幸い(?)なことに不発だった――ようですが、不発だったからセーフということには「ならない」でしょう。誰が聞いても殺人未遂です。
「尹錫悦(ユン・ソギョル)は死刑になる」とうそぶいた鄭清来(チョン・チョンレ)さんは、はっきりいえばテロリスト出身の政治家(しかも大物政治家)です。
韓国では、このような人物が国会法制司法委員会の委員長を務めているのです。
どういう神経をしているんだ――と問わざるを得ません。
かつての反米テロリストを国会委員会の要職に就けるのが、韓国の『共に民主党』という政党なのです。
「駐韓アメリカ大使官邸へのテロ行為」――これは「若気の至り」で済む話でしょうか?
(吉田ハンチング@dcp)