2024年12月29日、韓国の務安空港で179人が死亡する飛行機の事故がありました。
ランディングギアが出ないまま胴体着陸を試み、滑走路をオーバーランしてローカライザーに突入した爆発炎上。以下が侵入から爆発炎上までを捉えた動画です。
タイムラインを整理すると、以下のようになります。
2024年12月29日午前01時30分(現地時間)、『済州航空』の旅客機(7C 2216便)がタイ・バンコクを離陸。もともとは29日08:30に韓国・務安国際空港に着陸する予定でしたが、08:50着に変更・遅延。
2024年12月29日
08:54 務安空港の管制塔が着陸を許可。08:57 管制塔が鳥衝突(バードストライク)の警告を発信。
08:59 7C 2216便の機長が緊急救難信号「メーデー」を発信。機体の右エンジンから煙が発生。
――通常の着陸方向(南から北)で着陸を試みるも失敗。
――ゴーアラウンド(着陸復行)。機首を反対方向(19番滑走路)に向けて胴体着陸を試みる。
――ランディングギア(車輪)が作動せず。
09:03 滑走路の中間地点で胴体着陸。
――(推定)時速200km以上で10秒のうちに滑走路南端の「ローカライザー」(着陸誘導安全施設)に衝突。そのまま外壁までぶつかり爆発炎上。
――機体は尾部だけを残して完全に破壊。
この事故はバードストライクによって起こったとされていますが、なぜエンジンが両方とも同時に停止したのか、またブラックボックス、すなわちFDRとCVRの両方ともが同時に止まって肝心の部分が録音されなかった――などが、いまだにまったく解明されていません。
2025年07月19日、この事件についてエンジン精密調査結果の発表が行われる予定だったのですが――見送られました。
遺族の怒号と発表の延期
本件について韓国メディア『毎日経済』の記事から以下に一部を引きます。

↑遺族の怒号が飛び、公式発表が延期となった会場の様子。
(前略)
降りしきる雨にずぶ濡れになった「12・29済州航空旅客機惨事」の遺族が、19日午後4時ごろ、務安国際空港管理棟3階の大会議室に設けられたブリーフィングルームに飛び込み、エンジン精密調査結果の発表を中止するよう泣き叫んだ。「今すぐここから全員出てください。ブリーフィングは絶対に行いません」
航空・鉄道事故調査委員会(以下、事故調)はこの日午後2時、務安空港1階の待合室で遺族を対象に事故の経緯と調査内容を説明した後、管理棟にあるブリーフィングルームでマスコミ向けの発表を行う予定だった。
しかし、遺族の反対により、結局、国土交通部はマスコミに配布したエンジン分析結果の報道資料を回収し、ブリーフィングを中止することにした。
当初、午後3時に開始される予定だった記者会見は、なし崩し的に延期された。
遺族がいた務安空港待合室の隣にある別棟の管理棟で待機していた取材陣には、遺族が調査結果に納得していないという雰囲気が伝わってきた。
(中略)
遺族たちは、エンジン調査結果に対する事故調の説明が不十分で、調査内容も一方的だとして、報道機関への大々的な公開に反対した。
(中略)
事故調は、現場で回収した2基のエンジンをフランスの製造会社CFMインターナショナルに送り、調査を行った。
合同調査には事故調とアメリカ国家運輸安全委員会(NTSB)、フランス航空事故調査局(BEA)などの関係者が参加した。
遺族たちは、ブラックボックスのCVR(音声記録装置)およびFDR(飛行記録装置)、管制記録、そしてフランスで実施されたエンジン精密調査報告書の公開を求めた。
(後略)
メーデー民にはおなじみの『NTSB』『BEA』が合同捜査に参加していますが、遺族の反対によって、CVR・FDR、管制記録、エンジン精密調査報告書の公開が行われませんでした。
『東亜日報』の記事は――、
遺族らが「事故原因に関連する一部の表現において、まるで最終結論に達したかのように断定的に解釈されうる文言があった」と主張し、結果発表に強く反対したためだ。
――と書いています。
(吉田ハンチング@dcp)






