韓国の歌謡曲時代。80年代中盤の流行歌事情の考察

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K-POPの起源には日本のジャニーズメソッドがありますが、それよりも以前、日本でいう歌謡曲が花開いた時代というのがありました。

今回は、韓国の歌謡曲の時代について、『韓国を読む』(1986年02月25日第一刷発行)という本から引いてご紹介します。

これは1980年代初頭にあった韓国ブームをうけて編集された本で、「そういえば韓国という国について何も知らないぞ」と気付いた日本人に対して、あらためて「政治以外の韓国」の実態を知らせよう――という内容です。

それまでは、「北朝鮮はこの世の楽園」という大嘘、「南朝鮮の人民は独裁政権によって痛めつけられるばかりだ」という言説(ある意味これも大嘘だった)ばかりを摂取させられてきた日本人が、「この知識人とやら」が言ってることは本当なのか?――と、実際に行ってみて確認した(確認を始めた)時代だった――といえるかもしれません。

この本が面白いのは、複数の著者がそれぞれにチャプターを担当・執筆しているのですが、そのメンバーが、尹学準、黒田勝弘、関川夏央、菊池正人、豊田有恒、西岡力、長璋吉、西田宏子、重富滋子という錚々たる先生方であることです。

日本には潜水艦で来たよ」でおなじみの尹先生やSF作家でもあった豊田先生などすでに亡くなってしまわれましたし、これだけ韓国に知悉した人をそろえるというのは、非常に困難なことです。

もう40年も前の本なので当然ですが、巻頭の鼎談では、尹学準、黒田勝弘、関川夏央の3人の先生が、そろって写真に収まっていらっしゃいますが、「うわ、若っ!」と驚くこと請け合いです。

――本線に戻ります。

関川夏央先生先生が書いた「庶民の娯楽はいま」というチャプターがあります。この中で、80年代中盤に見た韓国の音楽シーンについて言及されています。

非常に興味深い内容なので、以下に引いてみます。

大衆芸能は蔑視の対象

韓国人の娯楽を語るときに歌謡曲を避けて通ることはできない。

飲めば歌う。宅を叩いて歌う。都会の接客業の店にはいつも流行歌が流れ、ラジオからも流れ、テレビは日本のそれよりも多く歌手と歌謡曲に時間をあけわたしている。

韓国人は声を前に出し、こもらせたり、つぶやいたりすることが少ない。感情を泡のようにではなく、線のように引き出す。

または体全体もみしだくようにしてしぼり出す。

声帯を開いて声をまっすぐに開放する。歌手はむろん、市井のひとびとも時と場所が許せばみごとな歌唱を聞かせてくれる。酒場でクラシックを歌う人はいない。ポピュラーでもシャンソンでもファドでもなく、例外なく歌謡曲である。

歌謡曲の旋律とリズムとことばは韓国人の感情吐露にもっともふさわしい、またはもっともなじんだジャンルではないかと、いくたびか感動的なシーンに立ちあったことのある外国人として思わないでもない。

ところがこの歌謡曲を韓国人自身が粗末にあつかっている。見下しているといってもいい。大衆は知らず、インテリと自らを認めるひとびとにはその傾向が極端に強い。

大衆にうけいれられるものには価値がない、というのが韓国の知識人のほぼ一般的な見解のようだ。

自分たちは大衆の一員ではない。そこには越えられない、越えてはならない一線があるべきだと彼らは考えている。

大衆に対立するものはなにかというと、それは知識人であり、文化人であり、官位に付く人、またはその資格のあるひとである。

つまり両班ヤンバンである。

両班は士大夫といいかえることもできる。士大夫は芸事や芸人をさげすむ。はやり歌などもってのほか、大衆が手を触れたものを遠ざけ、大衆が愛するものにはまゆをひそめる、それこそ知識人の知識人たるゆえんだ、と長い間考えられてきた。

(中略)

韓国の一般誌がかりに歌謡曲について報道するとする。

このとき、たとえばただ「歌謡曲」と記せばいい場面でも、エリートたる記者は必ず「大衆歌謡曲」と書く。

自分は大衆にあらず、といいたいのである。

韓国歌謡の研究が当地ではすすまず、むしろ外国で、とりわけ日本でなされる根本的要因はそこにある。

また韓国映画が長期にわたって低迷を続けた理由も、演劇が演芸としてではなく、翻訳もの専門の進撃として細い命脈しか保ち得なかったわけも、日本の植民地支配政策下での朝鮮語迫害とならんで、ある意味ではそれ以上に、韓国の伝統的社会構造そのものに、つまり知識人と大衆との乖離に根ざしている。
(後略)

⇒参照・引用元:『韓国を読む』著:尹学準 他,集英社,1986年02月25日第一刷発行,pp110-112

80年代の中盤に――韓国では、いわゆる「知識層」と大衆が愛する「歌謡曲」の間には溝があるよ――という指摘は現在の目からすると新鮮です。

今や韓国政府の産業通商資源部が「ラーメンと海苔とK-POP」と言い出す時代ですから。

では、当時のインテリ層は流行歌を聞かなかったのでしょうか? 関川先生は以下のように書いています。

(前略)
では知識人たちは流行歌をまったく歌わないのだろうか。

飲めば歌うのである。

卓を叩いて演歌を絶唱し、感極まって落涙したりもするのである。韓国知識人のタテマエとホンネは、そのような固有語は存在しないにもかかわらず、厳然と分離している。

ときにはその距離は一〇〇メートルもあろうかと思われる。不幸なのはタテマエとホンネの広い裂け目に落ちた大衆芸能であり、歌謡曲である。

⇒参照・引用元:『韓国を読む』著:尹学準 他,集英社,1986年02月25日第一刷発行,p116

――というわけで、1980年中盤の韓国の歌謡曲事情について引いてみました。

(吉田ハンチング@dcp)

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