日本『出光興産』の外航輸送部門を担う子会社『出光タンカー』の「出光丸」が「通行料」を支払わないでホルムズ海峡を通過できた――という報道が出ました。
韓国で本報道が大変注目され、日本はできるのになぜ韓国はできないの?――と嫉む記事が各メディアから出ています。
韓国企業が運用する船舶は26隻がいまだにホルムズ海峡で滞留したままです。

面白いのは大統領府の報道官に「韓国はできないんですか?」と聞いたことです。
――で、報道官の回答が記事になっています。例えば『文化日報』の記事は以下のように書いています。
28日、ホルムズ海峡を抜け出した日本企業所有の超大型原油運搬船「出光丸」。この船は先月16日、サウジアラビアのラスタヌラ港で原油200万バレルを積んで出発し、日本の名古屋港に来月18日到着予定である。
今月初めホルムズ海峡を抜け出したLNG運搬船3隻に続き、日本のタンカー1隻がイラン当局の協力のもと封鎖を突破して海峡を通過することになった。
日本政府は通行料を支払っていないと明らかにし「外交的成果」とのみ説明した。
(中略)
相次いでホルムズ海峡を通過して脱出した日本船舶とは異なり、韓国船舶26隻は依然として海峡内にとどまり海峡通過を待っている状況である。
(中略)
外交部はイランに特使を派遣もした。
今月11日にイランに派遣されたチョン・ビョンハ外交部長官特使は22日、アッバース・アラグチ・イラン外相と会い、韓国船舶26隻の自由な通航および乗組員の安全問題を協議するなどイラン高官との接触を続けたが、目に見える成果は引き出せなかった。
政府レベルの特使派遣は韓国が唯一であるにもかかわらず、依然として韓国船舶がすべてホルムズ海峡に足止めされている点は残念だとの評価である。
(後略)
日本の方を見ないで暮らしていけばいいのに……という話ですが、26隻の韓国船舶がいまだにホルムズ海峡でひっかかったまま――と書いています。
「イランに特使まで派遣したのは韓国だけ」――と自画自賛していたのですが、まった効果はありませんでした。
全然信用されていないから――でしょう。
世界を驚かせた『出光興産』の勇気!
イランと日本の『出光興産』は「日章丸」事件で因縁があります。

1951年05月01日、イランのモハンマド・モサッデク政権が石油利権を国有化しました。これに対しイギリスはイラン産石油のボイコット(禁輸)を選択し、海上封鎖を行い、法的圧力をかけました。
イランは国際的に石油を売れない状態に陥ったのですが、1953年(昭和28年)初頭、日本の『出光興産』がイラン産原油の直接輸入を決断。
1953年03月、タンカー「日章丸」をイランへ派遣します。
1953年04月、アバダン港にてイギリスの圧力がある中でイラン側から原油を積載。イギリスはこれを「違法取引」と主張しました。
イギリスは各国に圧力をかけて港湾寄港や補給を困難にしようとしましたが、日章丸はそれを振り切って04~05月に航行。
1953年05月09日、日章丸が日本に到着しました。イラン原油の輸入に成功したのです。
イギリス側(旧アングロ・イラニアン石油会社)は「盗油(違法取得)」として提訴しますが、日本側は「イランの主権による正当な取引」と主張。
裁判は3年を超えるものでしたが、1956年には日本側(出光側)の勝訴と判決が出ました。
イランの国有化は有効であり、原油取引は合法だ――となったのです。
この「日章丸」事件は日本とイランの関係を強化するものとなり、日本-イランの関係における「友好的外交を象徴する出来事」として現在もなお言及されているのです。
2026年04月29日、駐日イラン大使館は『X』に以下のような投稿を行っています。
“The historic 1953 mission of the Nissho Maru—owned by Idemitsu Kosan—to transport Iranian oil to Japan stands as a testament to the long-standing friendship between the two countries. This legacy continues to hold great significance.”
出光興産が所有する日章丸による1953年の歴史的任務――すなわちイラン産石油を日本へ輸送したこと――は、両国間の長年にわたる友好関係の証しである。この遺産は今日においても引き続き大きな意義を持っている。
イランが石油を売れずに困っていたところ、日本の『出光興産』がイギリスの封鎖を突破してみせたのです。
「なぜ韓国にはできないんですか」の答えは、日本のような歴史がないからです。
(吉田ハンチング@dcp)







