朝鮮半島が日本の斜め上にあり、半島を併合して良かったこと。その一つは朝鮮半島でタングステンが採掘できたことです。
一般的には知られていませんが、実は日本は世界でも類を見ないほど急速に電化が進んだ国なのです。
ハーバード大学のイアン・ジャレッド・ミラー教授がこの研究をされており、以下のように述べていらっしゃいます。
私(ミラー教授:引用者注)が日本の電化の歴史に興味を持っているのは、日本が明治時代から大正時代にかけて、全国の電化を信じられない早さで実現したからです。
転換というより、「革命」といっていい。
日本は地球上のどの先進国よりも早いスピードで電化を実現した国なのです。
――なぜ当時、日本は世界一のスピードで電化できたのでしょうか。
3つの理由があると思います。
まず一つめがロンドン、ベルリン、ニューヨークなど、欧米の大都市とくらべて、ガスの普及が遅れていたこと。ガスの施設が整備されていなかったため、一気に電化できたのです。
二つめが、東京(江戸)の人口密度の高さです。人口密度が高いほど、人々に電気を届けるまでのコストがおさえらえれます。
三つめが鉄道の普及が早かったこと。鉄道と共に電線ものびていき、電気そのものを郊外へと普及させることができました。
(後略)⇒参照・引用元:『ハーバード日本史教室』著:佐藤智恵,中公新書ラクレ,2017年10月10日発行,p113
※強調文字、赤アンダーラインなどは引用者による:以下同
ミラー教授の研究によれば、日本は先進国の中でも最も早く電化を成し遂げた国です。これに朝鮮半島の日本併合が一役買いました。ミラー教授の言葉を以下に引きます。
(前略)
日本の電化にも、自然資源の存在が大きく関わっていました。日本は戦後、様々なイノベーションを起こしてエレクトロニクスの分野の先駆者となりましたが、その発端ともいえるのが、一九二一年の東芝の三浦順一技師による「世界初の二重コイル電球の発明」です。
二重コイル電球は、従来の単一コイルよりも発光効率が良く、大ヒットしました。
明治から太正にかけて、日本は急速に電化を推進していきますが、それとともに、電球もどんどん普及していきました。
なぜ量産が可能だったかというと、電球のフィラメントの材料となるタングステンが比較的容易に手に入ったからです。
日本は一九一〇年に韓国を併合しますが、朝鮮半島は世界有数のタングステンの産地でした。日本の電化の歴史はある意味、日本の帝国主義のたまものでもあったわけです。
また東芝という会社がなければ、藤岡市助(東芝創業者の一人)や三浦順一といった人々のたゆまぬ努力がなければ、日本の電化はこれほど早くすすまなかったと思います。
現在、東芝が様々な問題を抱えているのを知っていますが、私は東芝という会社を心から尊敬しています。
もともとはイノベーションと起業家精神にあふれた会社だったのです。
石炭、ガスから電気へというエネルギーの変遷の中で東芝が果たした役割はとてつもなく大きいと思います。
(後略)⇒参照・引用元:『ハーバード日本史教室』著:佐藤智恵,中公新書ラクレ,2017年10月10日発行,pp109-110
ミラー教授の指摘どおり、朝鮮半島に産出したタングステンは日本の急速な電化に一役買いました。
左巻きの人々が「収奪だ」などと言い出さないよう、念のために付記しますが、これは日本本土への輸出です(お米と同じ)。実際、日本併合下の朝鮮半島では鉱工業が急速に発展※し、日本本土への輸出金額は大きく伸び、またGDPを膨らませるのに一役買いました。
それだけではなく、棚ぼた式に独立した後、しばらくは韓国の輸出品目のうちタングステンが大きな比重を占め、脆弱な韓国経済を支えて外貨を稼ぎました。これが可能だったのは併合時代に鉱区の開発が進んでいたからです。
(吉田ハンチング@dcp)