日本は朝鮮半島に人材を残した。「官僚の半分以上は日本統治下の官吏」は当然

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韓国の極左メディア『ハンギョレ』が興味深い記事を出しています。日本の終戦記念日08月15日が近くなると、「日本統治化でこんなにひどい目に遭った」という記事が多くなりますが、これのその1本でしょう。

「米軍政の韓国人職員の半数は日帝の元官吏」という記事で、『延世大学』行政学科のアン・ヨンシク名誉教授の研究について紹介し、安先生が刊行した『日帝の官吏を務めた朝鮮人の解放後の動向』という研究資料について述べています。

以下に『ハンギョレ』の記事から一部を引いてみます。

(前略)
アン教授はこの資料集に、書名と同じく「日帝(記事の原文ママ:引用者注)の官吏を務めた朝鮮人の解放後の動向」と題する論文も載せている。

この論文によると、米軍政の朝鮮人要員の49.1%(787人)が日帝の元官吏だ。

米軍政時代、日帝の元官吏は地方政府の韓国人官吏の40.7%(262人)判事・検事の70.8%(211人)を占めた。

郡守も70.4%(133人)が日帝の官職保有者だった。

同氏は、2年11カ月の米軍政期については、「私たちに残してくれたことはあまりない」として「失敗」だと規定した。

米軍政は日本の朝鮮総督府の官吏体系をそのまま受け継いでいます。日帝の延長線上にあったものでした」。

米軍政の最大の失策は、臨時任命という美名の下に日帝の協力者を無分別に任命したことにあった」と論文に記したアン教授は、「(米軍は)他国に来てもう少し慎重に問題を解決するという努力と姿勢が非常に足りなかった」と指摘した。
(後略)

⇒参照・引用元:『ハンギョレ(日本語版)』「米軍政の韓国人職員の半数は日帝の元官吏」

朝鮮半島が棚ぼた式に日本統治を離れ、南朝鮮は米軍統治下に入りましたが――そのときの官僚・判事・検事・郡守のほとんどが、日本統治下でその仕事を担った人々だった、けしからん――と非難しています。

この安名誉教授も「無分別だった」などと述べています。

これこそが、現実を理解せず、歴史に学ばない「いい加減な態度」です。

日本が統治するまで朝鮮半島は、近代はるか手前の「古代・中世をひきずった王朝支配のド貧乏な国」でした。奴隷制度が事実上そのママ存続しており、もし日本が併合し、産業革命・法治・国民国家という概念を植えなければ「曲がりなりにも近代国家」という存在にはなれませんでした

「現在の韓国は近代国家なのか」という疑問がありますので「曲がりなりにも近代国家」にしておきます。

日本は、朝鮮半島を併合した後、内国の一部としてかつて自身が経験したとおり、「明治維新式」に近代国家を支えるための人材を育成しようとしました。

学校を建て、有能な人材を日本本土で学べるようにし、朝鮮総督府で朝鮮人の採用も行いました。

そのように地道に努力を行い、やっとその芽がある程度育ってきた段階で、日本統治から切り離されたのです。

「後はキミ自身の手で! アディオス!」というわけですが、日本併合時代に育てた人材がきちんと跡を継いでいれば、それほど心配はなかったでしょう。日本人はそれほどのもの(資産と人材)を朝鮮半島に残したのです。

しかし、朝鮮人はその人材に「親日派」のレッテルを貼ってオミットしようという、自らの首を締める行動に出ます。ばかだなあ。

何の経験も専門知識もない朝鮮人が官吏や判事をできるわけがないでしょうに。

アメリカ合衆国の軍政は確かにいい加減なものでした(というかそもそも朝鮮半島の事情などこれっぽっちも理解していませんでした)が、それでも統治しなければならず――そうなると「その仕事に就いていた者」にやらせよう――となって当然です。

ですので、実際には米軍党統治下でも、上掲のような高い確率で元官吏・元判事・元郡守などが採用されたのです。

安名誉教授は「臨時任命という美名の下に日帝の協力者を無分別に任命した」などと批判していますが、違います。

米軍はすぐに官僚機構、統治機構が機能するように「最善の策」を取ったのです。アメリカ人らしいプラグマティズムの発揮ともえいます。他に人材(あるいは選択肢)などなかったのです。

近代国家を経験してから35年しかなく、専門知識も日本に育ててもらった分しかない朝鮮人だったので、官吏・司法に携わる者としての経験がある者は他にありません。官僚もやはり専門職なのです。判事・検事は言うまでもありません。

日本統治下で官吏・判事を務めたからいけない、親日派だとレッテルを貼って彼らの能力を否定するのでしょうか。ばっかじゃなかろか――です。

実際、合衆国軍による統治が終わり、李承晩(イ・スンマン)さんが初代大統領に就任した後でも、親日派を一掃するという美名(これこそ美名を装う行為です)の下、実行しようとしたのです。

でも失敗しました。そんなことをしたら統治機構が回らないことが分かったからです。日本併合下で育った朝鮮人材は優秀だったのです。

例えば、宋建鎬(ソン・ゴンホ)さんは以下のように述べています。

「40年代前半期の植民地朝鮮の主役が、後半期の独立宣布後も相変わらず新しい国の舞台で主役を演じるようになった。

形式的に見ると独立国となって出発したので、大きな変化があったはずだが、実は日帝に迎合した者が米軍政に参与し、新国家建設に一役買っていた。

人的構成面では実質的な変化は見られず、40年代前半期の歴史線上にそのまま新しい国を建設したと見ざるを得ない」

『東亜日報』の編集局長を務め、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の独裁政権と戦った「言論の自由運動の象徴的存在」といわれる人です。

朝鮮人材が新しい国(韓国)を維持・発展するのに力を尽くしたという歴史でもあるのに、『ハンギョレ』や安名誉教授は「親日派だった」と否定したがっているわけです。

この安教授がどのような動機で韓国人官吏の素性を調査しているか分かりませんが、おなじみの「親日派を摘発しよう」という動機なのであれば、この人はただの進歩系(けっ!)のイデオロギー論者です。史家の資格はありません。

日本併合時代も自分たちの歴史の中の一部であり、もたらした良い影響認めるべきです。それこそが近代人の姿勢というべきでしょう。

(吉田ハンチング@dcp)

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