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なぜテロリストの安重根が韓国の英雄なのか。必然の理由がある

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『JBpress』に興味深い記事が出ました。

日本の初代総理大臣・伊藤博文を暗殺した朝鮮の安重根を主人公にした映画が次々に公開されるそうです。

2022年12月21日には『英雄』というミュージカル映画が公開され、2023年には『ハルピン』というスパイアクション映画が公開予定とのこと。

↑YouTubeに公開されている『英雄』の予告動画。

タイトルからして『英雄』で韓国の皆さんの安重根への思いが伝わってきますが、自らの政治的な主張を通すべく外国の要人を暗殺したら、それは誰がなんといおうがテロリストです。

韓国の皆さんの中には、安重根を讃えよなどと日本人に同意を求める人がいたりしますが、どういう神経なんだと正気を疑わざるを得ません。


↑平和統一公園に据えられた安重根の銅像。懐から銃を抜いてまさに伊藤博文さんを撃とうとする様を描いています。ちなみにこの像は中国で制作されたものです。そのためか、コートの翻り方が白髪三千丈式にオーバーです。

韓国の英雄とされ、銅像が建てられた人ではこの安重根、また1932年の上海天長節爆弾事件を起こした尹奉吉がいます。尹奉吉も以下のような、今まさに手榴弾を投げようとしている場面をかたどった銅像が建てられています。

安重根も尹奉吉もまごうことなくテロリストです。韓国では独立のために戦った「義士」ということになっていますが、日本人なら誰もが思うのではないでしょうか。

独立運動を行ったテロリストではない人物は他にいないのか? なぜ安重根のようなテロリストが英雄などと最高に称賛されるのか?――と。

この疑問には、木村幹先生が明快に解答してくださっています。以下に引用してみます。

(前略)
こうして見ると、何故に、安重根が脚光を浴びるのかも明らかになる。

伊藤博文暗殺事件において脚光を浴び、僅か5カ月後処刑されることになった安重根は、それ以前においては民族運動家として際立った業績を残してはいない。

また当然のことながら、彼の死の5カ月後に開始される公式な植民地統合の関係も一切持たなかった。

言い換えるなら、安重根の最大の特徴は「伊藤博文暗殺」という、韓国民族運動史において大きな象徴的な意味を持つ事件の主人公である以上に、その短い経歴が、日本や列強との関係に「汚れていない、ということにこそある。

歴史に一瞬だけ登場し、その前後に目立った業績を持たない人物。

それは確かに、ある民族や国家の「物語」を作り出すのには、使いやすい人物であるに違いない。
(後略)

⇒参照・引用元:『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』編:鄭大均、古田博司,2006年(平成18年)08月20日 第1刷発行,「『韓国内の親日派は国賊である』と言われたら」著:木村幹,p74
強調文字、赤アンダーラインは引用者による。

さすが木村幹先生という指摘で、まさに急所を突いています。

つまり、安重根は、日本政府や日本企業、日本人との関係において「親日的である」と判断できない人物なのです。

韓国では日本に協力したなどの過去があった場合、それが国を救った朝鮮戦争の英雄であっても親日派認定して貶めます。そもそも朝鮮半島は日本の一部でしたので、朝鮮総督府や日本企業、あるいは日本政府、日本人に協力しないと口に糊することはできなかったのです。

親日派認定、新日清算といった行動は、当時の現実をまるで無視した、自分を無謬の存在とするかのような思い上がった態度という他ありません。

このような態度で自分たちの歴史を眺めてみると、上海に逃げだして中国に飼い殺しにされて零落した亡命臨時政府の人たち、アメリカ合衆国に逃げた李承晩(イ・スンマン)などは別にして、日本に全く無関係に生きた人物などいるわけがありません。

親日派と認定せざるを得ない人物ばかりなのです。

だから、親日派と認定しないで済む「独立の英雄」と呼べる人物がいません。
だから、テロリストが英雄になるのです。

安重根は疾風はやてのように現れて疾風はやてのように去っていきました。まるで、伊藤博文さんを暗殺するためのこの世に登場したかのように。

しかし、暗殺で韓国併合は止まったかというと逆なので、安重根のテロはまるで意味がなかったわけです。その意味では全く哀れで気の毒な人生だったともいえます。

「汚れちまった悲しみに」というフレーズがありますが、安重根の場合は「汚れなかった悲しみに」なのです。

『英雄』という映画は、安重根最後の1年間を描くそうです。

韓国のことですので、まるで事実のようにウソを描くでしょう。そのウソを観客が信じるのでしょう。この映画でどのようなウソが描かれるのか、公開されたら確認させていただきましょう。

(吉田ハンチング@dcp)

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