日本と韓国はそもそも「自由民主主義と資本主義という体制を共有していた」か?

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韓国の文在寅大統領の5年間によって、「日韓関係は最悪となった」などといわれます。

韓国に親米に舵を切る尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領が誕生しました。

これを機に、「日韓関係を改善する」「日韓関係のもつれをほぐす」といった意見表明が出て、実際、日韓の政治家が前のめりで動いています。

しかし、「そもそも日韓は価値観を共有するような関係であったのか」という問いについて、あらためて考えてみなければいけないのではないでしょうか。

「日韓関係を改善する」という言葉の裏に、「以前の日韓関係は良かった」という根拠のない前提が隠れているのではないか――という話です。

例えば、韓国が言う「良い日韓関係」とは、「歴史問題を持ち出せばなんでも言うことを聞く日本に戻れ」を意味しているのではないのか、などと勘ぐるわけです。

もしそうであるなら、現在の日本人はとてもそんな要求は飲まないでしょう。また、もしそのようなことを推進する政治家がいるならば、その人は次の選挙で落選する可能性が高まることは疑いようがありません。

日本人の韓国に対する認識は大きく変わったのです。

ですから、今ここで日本と韓国は「そもそも価値観を共有する国同士であったのか」――と問うことはとても重要です。

「過去の良好だった関係に戻ろう」などというかけ声がかかっているわけですので。

小倉紀蔵先生の著作に非常に興味深い指摘がありますので、以下に引用してみます。

(前略)
「日韓関係の断絶は最悪の状態だ」とか、「韓国の進歩と保守の断絶はきわめて深刻だ」などという認識は、厳密に分析される以前から当然視されてしまっている一種の先入観なのではないか、と疑ってみることも重要であろう。

たとえば、「日韓関係が悪化している」という命題の前提にあるのは、

かつて日韓は自由民主主義と資本主義という体制を共有していた。

ところが韓国の民主主義のやり方には多分に疑問を持たざるをえない。

日本外務省も『体制の共有』という言葉を使わなくなった。

だから日韓は互いに理解することもできなくなったし、関係が悪化の一途をたどっている」

という認識であると思われる。

だが、かつてわたしは、日韓間で「体制の共有」という文言(ないし観念)がいつ使われはじめ、どのような意味で使われていたのかを調べたところ、その当初(一九八〇年代)は「実態として韓国に資本主義や民主主義があるわけではないという認識のもと、政治・外交的なかけひきとしてこの語を使った」という結論を得た。

たとえば一九八四年九月、つまり光州事件(光州市で民主化を要求する大規模なデモが起こり、軍隊が出動して多数の死傷者が出た事件)の四年後に訪日した全斗煥大統領と中曽根首相は共同声明で、「自由、平和及び民主主義という共通の理念を追求する日韓両国」という、現実とはかけ離れた文言を使っている。

そもそもは、このような政治・外交的なかけひきの装置としての「日韓両国」の「共通の理念」だったのである。
(後略)

⇒参照・引用元:『韓国の行動原理』著:小倉紀蔵,PHP新書,2021年07月29日第一版第一刷,pp174-175

小倉先生は、そもそも「共通の理念を追求する日韓」という文言、そして観念は、政治的、外交的なかけひきの装置として持ち込まれたものだ、と指摘していらっしゃいます。

つまり、政治的・外交的な策術のために作られたものなのです。

その装置によって、あたかも「日韓は自由、平和および民主主義という共通の理念を追求する国同士であった」という一種の「思い込み」が形成されてしまったのではないでしょうか。

だから「昔の良好な関係に戻ろう」などと言い出すのです。

小倉先生が指摘していらっしゃるとおり、「自由、平和及び民主主義という共通の理念を追求する日韓両国」という文言の入った共同声明を出した全斗煥大統領は、クーデターを起こして韓国に独裁制を敷いた人物です。

韓国のいったいどこに「自由・平和・民主主義の理念を追求する姿勢」があったのでしょうか。

実態として韓国に資本主義や民主主義があるわけではない」と理解していながら、このような共同声明を出した当時の日本政府も大したものですが。

つまり、日韓はそもそもが「自由・平和・民主主義の理念」など共有していなかったのです。

現在必要なのは、政治的な目的や策術をまた弄するのではなく、ボタンを掛け違えた時点まで戻って、「あの時点から間違っていたんだ」と認識することのように思われます。

政治的な目的、策術のために韓国を甘やかすことではありません。それでは元の木阿弥です。

(柏ケミカル@dcp)

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