「韓国に跆拳道などない。我々が跆拳道と呼ぶすべての武術の造型は、完璧に日本製なのだ」

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オリンピックの正式種目になりおおせた「テコンドー」というスポーツ(?)があります。三国時代からの伝統的な武芸なんて話になっていますが、完全なうそです。

高句麗、百済、新羅の三国が鼎立した時代。 およそ4~7世紀。

主張を裏付ける文書は何もありません。伝承もありません。うそだからです。テコンドーの大本は日本の併合時代に入った「空手」です。

より正確にいえば、日本で空手を学んだ朝鮮人が朝鮮で道場を作ったのが始まりです。

李元国さんが1926年に訪日し、東京雑司が谷の空手道場「松濤館」に入門、富名腰義鎮さんに空手を学びました。富名腰義鎮さんは沖縄出身、「船越義珍」の名で知られていますが、空手の普及に尽力された方です。松濤流(松濤館流)は空手三大流派の一つであり、空手の源流です。

李元国さんは、朝鮮半島に戻って京城に「青濤館」という道場を開きます。この「濤」は師匠の「松濤館」から一字をもらったものです。

李元国さんの他にも日本で空手を学び、朝鮮半島に持ち帰った人が空手家として道場(流派)を作り、これがテコンドーを創る基になりました。第二次世界大戦が終わり、日本が朝鮮半島から手を引いた後に、「新羅の時代からあった」などという捏造が始まります。

なかったものを「新羅の時代からあった」と強弁したわけですから捏造と言われても仕方ないでしょう。

この捏造のきっかけになったのは、朴正煕(パク・チョンヒ)李承晩(イ・スンマン)大統領だという説があります。

空手の演舞を見て関心した朴正煕(パク・チョンヒ)李承晩(イ・スンマン)大統領が、「日本の武道だ」と聞いて不機嫌になり、それで名前も変えよう――となったというのです。変名に当たっては、崔泓煕陸軍大将(この人も空手家でした)が中心的役割を果たし、漢字表記の「跆拳道」を考案しました。

1955年04月11日に、道場主・軍幹部・言論人が招集された名称制定委員が開催され、この名称に決定されます。ですから「跆拳道」などという名称、その実態が三国時代からあるわけがないのです。

簡単にいえば、テコンドーというのは日本から輸入された武道「空手」の看板をかけかえたものです。

食べていくために「三国時代からあった」

「(空手とは別に)昔からありました」という捏造がなぜ行われたのか、についてはより切実な、というか生活に密着した話になります。

韓国メディア『新東亜』2002年04月号にテコンドーの本部団体『国技院』のイ・チョンウ副院長(当時)のインタビュー記事が載っており、テコンドーを伝統武芸と強弁した背景について語っています。簡単にいえば、「食べていくため」に「朝鮮伝統の……」などと事実でないことを言ったのです。

この記事は今でも以下のURLで読むことができます。

該当部分を引いてみます。

(前略)
――多くのテコンドー教本がテコンドーの起源を三国時代以前としています。歴史的想像力を動員してみても、ちょっと無理があるのではないかという感じがしますが。

イ・チョンウ副院長「私もそのような本を書いた1人です。

正直なところ、私たちが興したことはなかったでしょう。

創生期のテコンドーを海外に普及する過程では、昔からあった韓国の伝統武術といえば名分が立って食っていくことができたのです。しかし、どんなに類似性があっても、それは事実とは異なります。

歴史的源流を見ると、中国から日本に入り、日本から韓国に入ったと言わなければ説得力がありません。
(後略)

⇒参照・引用元:『新東亜』「イ・ジョンウ国旗院副院長の『テコンドー過去』衝撃的告白!」

このように「食べていくために朝鮮の伝統武芸だ」と名乗ったことを正直に告白しています。

テコンドーが朝鮮の伝統武術ではない、と悟ったときに怒りがわいたという金容沃先生は以下のように述べています。

「はっきり悟った。『大韓民国に跆拳道などない。我々が跆拳道と呼ぶすべての武術の造型は、完璧に日本製なのだ』」

引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,p421

――というような次第ですので、テコンドーもいわば日帝残滓になります。親日清算はしないのでしょうか。

<<重要な追記>>
演舞を見て不快感を示したのは朴正煕(パク・チョンヒ)大統領ではなく李承晩(イ・スンマン)大統領です。修正をいたしました。誠に申し訳ありませんでした。深くお詫び申し上げます。

(吉田ハンチング@dcp)

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