韓国政府は外交部の定例ブリーフィングを通じて、「いわゆる徴用工」問題で日本政府に「謝罪」という「誠意」を求めていることを明確に示しました。
しかし、謝罪するというのは、西岡力先生がご指摘のとおり「強制性を認めたこと」になります。また、朝鮮半島に対する債務がまだ残っていたと認めたことになりますので、日本政府は絶対に行ってはなりません。
もし、日本政府が「謝罪してもいい」などと安易に考えているようなら、田中明先生の指摘を思い起こすべきです。以下に田中先生の著作から該当部分を引きます。
日韓が従軍慰安婦問題で揉めているとき、腑抜けの日本は「ともかく謝ってくれれば、なんとか収拾する」という韓国側の提案を真に受け、慰安婦の募集には強制性があったみたいな言い方で官房長官が謝罪談話を発表した。
九三年八月のことだった。
おかげで、その後日本がいくら事実関係を挙げて反論しても、韓国側は「日本政府は強制を認めたではないか」のひと言で退けることができることになった。
いっときの政府の軽挙が、日本の未来をいつまでも汚しつづけることになったのである。
政府の公式発表を覆すのは難しい。
あのときの発表者である当時の河野官房長官が「国民にお詫びをする」と言って、腹でも切らなければ、どうにもなるまい。
歴史は取り返しが利かない、従って書き替えの利かないものである。書き替えが利かないからこそ、それは各自の胸に痛切に響くのだ。
ところが韓国や中国では、歴史は書き替えが利くものと考えているようである。政府や党の意向でいくらでも改訂しているからだ。
敗北に直面しても、精神に深刻な傷跡を残さぬ伝統を有する人たちであれば、それも不思議ではないかも知れない。
しかし、歴史を取り返しの利かぬ(従って書き替えが利かぬ)痛切な所与と見る者には、書き替え自在とする政治主義は無縁なシロモノでしかない。
(後略)⇒引用元:『物語 韓国人』著:田中明,文藝春秋,2001年(平成13年)08月20日 第一刷,p190
田中先生は小学校・中学校と併合時代の朝鮮・京城(ソウル)で過ごされた方です。そのため、朝鮮半島に同窓生がおり、自らを「親韓派」と定義していらっしゃいます。
その田中先生にして「腹を切らねば」という書きようは異例の激しいものですが、「いささかでも当時の空気を吸った者」(先生の表現)として我慢がならなかったのでしょう。
ご注目いただきたいのはそこではなく、「いっときの政府の軽挙」が「歴史的に取り返しの利かぬもの」になる――という先生の指摘です。
日本政府、そして政治家の皆さんには再度お考えいただきたいものです。
Profile
1926(大正15)年、愛知県に生れる。小中学校時代をソウルで過ごす。東京大学文学部国文科を卒業、朝日新聞記者に。調査研究室幹事などを経て79年に退社。その間、高麗大学へ留学。85年、拓殖大学海外事情研究所教授、顧問を経て現在、客員教授。著書に『ソウル実感録』『韓国の「民族」と「反日」』『韓国政治を透視する』、訳書に『広場』『パンソリ』など。
※上掲引用書のProfileを引用(出版当時のものです)。
(吉田ハンチング@dcp)