韓国では「恩赦」がよく行われます。
2022年の08月15日、光復節には『サムスン電子』の李在鎔(イ・ジェヨン)総帥、朴槿恵(パク・クネ)元大統領などが恩赦となり、話題になりました。
恩赦の決定については大統領の専権事項で、光復節や大統領の退任時などに行われます。日本人からすると、「やたら恩赦の多い国だなぁ」という印象を持つでしょう。
この「恩赦が多い」というのは、実は李朝時代から続く伝統なのだということをご存じでしょうか。
また、恩赦が多いというのは「やたらに捕まる人が多かった」(「濫囚」といいます)、「やたらに刑罰に処せられる人が多かった」(「濫刑」といいます)ことの反動なのです。
古田博司先生によれば、
恩赦は、
①建国時
②国王即位、立后、立太子、太后尊号、王と王族の誕生、薨去など
③国王行幸時
④宮の造営と罹災
⑤極寒猛暑に際し獄囚を憐れんだ時
⑥天変地異、彗星出現時など
⑦女真族を成敗した時
⑧瑞象出現
⑨疫病流行
⑩個人特赦(父殺しの仇討ち)などで頻発された。
恩赦はあまりに頻繁で数えることができないほどだった。
歴代の王が赦をもって徳治となして、これを行うことですべての災厄から逃れることができると信じたことによる。
(中略)
現代の韓国でも、この「濫赦の弊」は、伝統として続いている。
蓄財で逮捕された元大統領や、贈賄で収監された元会社社長、左翼運動で死刑判決を受けた元学生などが平然と出獄し、豊かな老後を送ったり、死刑宣告を勲章のようにして左翼政党の議員として返り咲いたりするのはこのためである。
(後略)⇒参照・引用元:『「統一朝鮮」は日本の災難』著:古田博司,飛鳥新社,2018年09月25日 第1刷発行,pp141-142
※強調文字は引用者によります。
つまり、やたらに恩赦が多いという「濫赦(らんしゃ)」は、やたらに捕まる「濫囚」、やたらに刑罰に処せられる「濫刑」を埋め合わせるものとしてあって、それは李朝時代となんら変わるところがない――というわけです。
確かに、古田先生のご指摘どおりに、とにかく韓国では国会議員、元大統領、会社のTopなどがやたらに捕まりますし、やたらに恩赦されます。
日本人からすると「いったい何をやっているんだろう」と疑問に思いますが、これは一種の伝統芸と解すべきなのです。
その上で古田先生は以下のように述べていらっしゃいます。
以上より、「濫囚」「濫刑」「濫赦」が彼らの伝統であることは明らかだろう。
したがって私は、今の韓国の地で、いかに日本人が不当な逮捕、審問、判決、投獄をされようとも驚かないのである。
「行かないに越したことは無い」、というのが私の箴言だ。
(後略)
古田博司先生は40年以上も朝鮮半島について研究を行い、韓国語で冗談が言えるまでに歴史・文化・文芸に精通した方です。古田先生の著作では、日本人が知っておくべき事実が明確にされており、読者は新たな視点を与えてもらえます。興味を持たれたらぜひご一読ください。
(吉田ハンチング@dcp)